今回は、お墓参りや仏教式のお葬式は、どのように参列したら良い?参列禁止?「お焼香、どうする?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて2年の筆者みずきが、ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
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仏教式のお葬式は参列していいの?
今回は、お墓参りとか仏教式のお葬式にどのようにに参列したら良いのか? 参列は禁止なんでしょうか?という質問です。
よく皆さんから聞くのは、お焼香も困るってことですね。
お焼香は、その亡くなられた方に対して行う、対象が亡くなられた方ってことですよね。そう考えると、宗教的な意味合いが強そうですね。
でも「私はこの部分はやりません」って参列してるのに、部分的に断るのは、雰囲気的にもお葬式だし…どこまで?という線引きも、皆さん難しいのかなと思います。
確かに、隣の人が見ている中で、やらないのは勇気がいりますよね。
でも、やったらやったで自分の気持ちが悪いような気もするし、これいいのかなと思いながらやるのも…「あぁ〜神さま、どうしましょう」みたいな感じですね。
結論を言うと、参列してOKです。ただし、条件付きです。
参列はOK、ただし条件があります
個人を偲び、遺族を慰めるという意味では参加すべきだと思います。仏式でも、僕は参列します。しかし、仏教の意味が強いので、宗教行為はしません。ここは条件を付けた方がいいと思います。
まず、お焼香ですよね。お焼香の意味を少し調べました。
しかし、これはインターネットからの引用なので、間違ってたら教えてください。
焼香とは、
・死者や釈迦へのお供えもの
・死者の悪臭を和らげる
・死者や仏、全ての先祖を礼拝する儀式
・焼香する人を清めるもの
(これは浄土真宗の場合だそうです)
つまり、がっつり礼拝行為です。
礼拝行為なんですね。知らなかった…!
彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。
聖書(ローマ人への手紙 1章22~25節)
そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。
彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
このように聖書に書かれていて、『朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました』
つまり、朽ちる人間に対して礼拝すること、これはクリスチャンにとって偶像礼拝にあたるんですね。
私たちが信じていることとは、相反するものということです。
死者や仏、先祖を礼拝しお供えするというのは完全な偶像礼拝なので、それを意識していなくても宗教行為なのでNGですね。
宗教行為はNG
「私は仏や神道は信じてませんよ〜」って言いながら、からんからんって初詣行っているのと同じレベルというか、それ以上のレベルかなと思うので、お焼香などの行為はしない方がいいでしょう。
信じて行動してなければいいんじゃないか? って思う人がいるかもしれないけれど、コリント人への手紙にあるように、当時、ギリシャの町のコリントでは「偶像の神は存在しないのだから、そういう異教の宴会に参加しても何の問題ない」と考えているクリスチャンがいたんですね。
でも、それに対してパウロは違うと聖書で言っています。
むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
聖書(コリント人への手紙 第一 10章20節)
このように言っていて、死者に対して礼拝するというのは、悪霊に対してしてるということになってしまうので、その行為は悪霊と交わることになる。
魂にとっても良くないし、聖書の神さまが悲しまれると思うので、お焼香が来た時はスルーする。しないという選択が、いいかなと思っています。
どうやってお焼香を断る?
いきなり、すっと次の人に回して、周りがジロッて見るのが予想できるなら、あらかじめご遺族の方に「私はクリスチャンなので、お焼香は控えさせていただきます」と、伝えておくのも配慮かもしれませんね。
別に理由を「悪霊がどうのこうの」とか、言う必要は全くなくて「クリスチャンなのでしません」というのは、言っても問題はないと思います。
確かに、言われた方もそれ以上は何も思わないですよね。そうなんだって思って終わりかな。
むしろクリスチャンの側が、気にしすぎてしまっているかもしれませんね。
僕は、できれば説明した方がいいかなと思います。
何も説明なしにスルーしたり、気まずそうにされたりすると、逆にそこに何か深い意味があるんだろうか?って、誤解を生む可能性もありますよね。
クリスチャンなんですって言うのがちょっと恥ずかしい、という人は、そこは、一歩乗り越えましょう。
故人を偲び、遺族を慰めるのは聖書的
遺族の方と一緒に、悲しみを共有したり、遺族の心が癒されるように祈ったりするのは必要なことですよね。
むしろ、参列を拒否することが証にならないということもありますよね。
クリスチャンとしては故人を偲ぶとか、遺族と悲しみを共有するのは、とても聖書的だから
大切なことだと思います。
ただ、そういう1個1個の儀式の中の行為、焼香とかそういうものに関しては、その意味を知り、それが偶像礼拝に当たらないのかどうか、気を付けた方がいいと思います。
まとめ
Q .仏教式のお葬式は、どのように参列したら良い?参列禁止ですか?お焼香は、どうしたら良いですか?
A .個人を偲び、遺族を慰めるという意味では、参列すべきだと思います。しかし、仏教の意味が強い宗教行為はNGです。事前に遺族へ説明をした上で、お焼香は控えましょう。
今回のようにお葬式のことや、実際に私たちクリスチャンとしてどうすればいいのだろう?って思うことにどんどん質問に答えていきたいと思います。
その他、質問があればコメント欄で教えてください。動画やブログを通して答えていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。