ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という大ベストセラーにはこのように書かれています。
「実現したいと望むものを得るために、あなたはその代わり何を「差し出す」のかを決めること」
つまり、「何かを得るには何かを犠牲にしなければいけない」という意味です。
次の日の「朝一の会議のプレゼンを100%成功」したいのなら、「友人と朝まで飲むこと」は犠牲にしなくてはいけません。
ヤコブとヨハネの兄弟はキリストに「ついてきなさい」と言われ、舟と家族を犠牲にし、即決しました。
21 イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。
聖書(マタイ4:21-22)
22 彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。
ペテロとアンデレは、網を捨てて従ったと書いていますが、彼らは、船と父親を残して、イエス様について行きました。
漁師はお金持ちじゃないだろうし、従いやすかったのだろうと思うでしょうか?
実は、当時、漁師は裕福だったと言われています。
ガリラヤ周辺のユダヤ人の主食は魚であり、塩や酢に漬けて保存食なったり、料理に使うソース類にも加工されました。
つまり、漁師はガリラヤの産業の中軸を担う存在だったので、生活は比較的裕福であったようです。
当時、舟は相当高価なものだったでしょう。
現代においても、例え小さい舟であっても、車以上に高いものがほとんどです。
冷静に考えたら、舟を手放すことは難しことです。
・舟を残して、食っていけるのだろうか?
・せっかく手に入れた舟が他の人に使われたら嫌だなあ。
聖書の他の箇所をみると、持っているものに固執してすぐに従えなかった人もいました。
22 イエスはこれを聞いて、彼に言われた。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
聖書(ルカ18:22-23)
23 彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
もう一つ、ヤコブとヨハネの兄弟が犠牲にしたことは、父親です。
・父親の仕事を誰が助けるのか?誰が父親のお世話をするのか?
・しかも、兄弟二人ともいなくなる。
息子として心配でしょうがなかったでしょう。
聖書には、家族のことが心配ですぐに従えなかった人がいました。
イエスは別の人に、「わたしに従って来なさい」と言われた。しかし、その人は言った。「まず行って、父を葬ることをお許しください。」 聖書(ルカ9:59)
また、別の人が言った。「主よ、あなたに従います。ただ、まず自分の家の者たちに、別れを告げることをお許しください。」 聖書(ルカ9:61)
もちろん、キリストに従うためには、絶対に、財産や家族を犠牲にしなければいけないという意味ではありません。
神様は私たちのお金がなくても生きていけます。
イエス様は私たちの「あなたに従います」という口の告白が本気かを試しておられたのです。
先ほどのお金持ちが、お金を貧しい人に捧げて財産を全て手放しても、結局神様は彼を祝福されただろうなと私は思います。
キリストに従うならば、他のものはついてくるからです。
この順番が大事なのです。
手放すのが先です。本当に価値のあるのもは、従うなら戻ってくるのです。