みなさんは、苦しい時と、順調なとき、どっちがもっと祈りますか?
「苦しい時の神頼み」とはよく言ったもので、ほとんどの場合、苦しいときに祈ることが多いのではないでしょうか?
それっていいんでしょうか?なんか、困ったときだけ利用しているようにも思えてしまいます。
聖書は、苦しいときには「神を求めなさい」とはっきり書いています。
苦難の日に、わたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し、あなたはわたしをあがめる。」
聖書(詩篇 50:15)
まず、覚えたいことは、神様は、とにかく私たちを愛しておられ、私たちが幸せに暮らすことを願っておられます。
神様は、私たち人間のように駆け引きしたり、ギブアンドテイクなどはなされません。
私たちがたとえ、自業自得で陥った苦難や苦しみにでも、「神様を呼び求める」なら、神様は必ず助けてくださいます。
「呼び求める」とは、他の誰でもなく、他のものや自分の力でもなく、神様だけに助けを求めることです。
神様は、私たちが求めなくても、いつだって助けることがおできになります。
しかし、私たちが、自主的に、意思を持って、神に来ることを願っておられます。
なので、「呼び求めよ」と私たちの祈りを待っておられるのです。
神様の目的は、私たちを助かることだけではありません。
神様は、私たちともっと親しくなることを望んでおられます。
私たちが、神の助けを経験し、自分の弱さや罪を認め、神様の「偉大さや愛」を褒め称えることを願っておられるです。
父親はいつだって子供の助けに応じたいと思っているでしょう。
でも、毎回「お金ちょうだい」と、経済的な支援だけを求められたら、嬉しいでしょうか?
同じように、神様も私たちを助けたいのですが、それよりも、私たちの心が欲しいのです。
なので、「苦しい時の神頼み」ばかりの祈りは、神様は悲しんでおられるのです。
神様はドラえもんのポケットではないのです。
今、苦難の中におられるでしょうか?
あなたが叫び求めるなら、助けは必ず神様から来ます。
しかし、今日は、その先にある、神様の心を知りましょう。
神様は、あなたが神にもっと信頼し、近づき、愛し、もっと時間を過ごしたいと願っておられるのです。
神様は、あなたの心をノックしておられます。
あとは、あなたが、祈りによって、その扉を開くことです。
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
聖書(黙示録3:20)