だれにでも人生の停滞期は訪れます。
自信と意欲がなくなり、自分がすべきことに集中できません。
自尊意識 が低くなって、ほかの人の日常的な言行にも自分が拒絶されたと思い、憂うつな思いに沈みます。
預言者エリヤも死を願うほど疲れ果てていましたが、神は彼を休ませ回復されました。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
聖書(1列王記19:8)
今日、注目すべきことは、彼が食べて力をえた後にしたことです。
なんと、彼は回復した後に、「四十日四十夜歩いて、神の山ホレブにいった」ということです。
ここから、私たちが休む理由は、神に会うためだということがわかります。
休むこと自体が目的なのでも働くために休むのでもありません。
身体の回復が必要なように、霊的な魂の回復も必要だということです。
そのために、私たちがもっとも必要なことは、神との関係の回復なのです。
先ほどの箇所の二つのフレーズに注目しましょう。
①四十日四十夜
エリヤは、荒野を40日間歩いてホレブ山に向かいました。
聖書には度々、「四十日四十夜」が出てきますが、全て、神の救いを受けるための準備の期間、試練の期間を指しています。
創世記では、40日間、雨が降り続き、ノアは方舟に入りずっと洪水に浮かんで流されています。40日後、ノアとその家族は救われました。
出エジプト記では、40日間、モーセがシナイ山に登っていました。40日後、イスラエルの民は「十戒」を授けられます。
福音書では、40日間、イエス・キリストが悪魔に試みられました。40日後、イエス・キリストは伝道を始められ、全世界に救いをもたらしました。
エリヤもそうです。
回復して歩けるようになったあと、彼は40日間歩かなくてはいけなかったのです。
エリヤが回復する理由は、再び、神に会うことだったからです。
②神の山ホレブ
なぜ、ホレブ山の前に、「神の」と書いてあるのでしょうか?
それは、この山が、神と会うための象徴だからです。
ホレブ山は、神がモーセを呼ばれた所です。
また、神がモーセを通じて、イスラエルの民に十戒を始めとする律法を与え、神と契約を結んだ聖なるところです。
事実、エリヤは、ホレブ山で神の声を聞きます。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
聖書(1列王記19:9)
この二つのフレーズからも明らかなように、エリヤが休んだ理由は、神に会うためだったということがわかります。
食べることも眠ることもしんどいくらい、疲れ果てたとき。
うつのようになったとき。
大切なことは、まず、休むことです。
しかし、そのさきに待っているもっと大切なのは、神の声を聞くことです。
神と一対一で向き合うことです。
人生のバランスを崩したとき、それは神に出会うチャンスでもあるのです。
忙しくて、全てが順調なら、あなたは神との一対一の時間を求めるでしょうか?
もし、今、あなたが、人生の停滞期を迎えており、休むしか選択肢がないとしたら、神に会う準備をしてください。
40日は象徴的な数字ですが、毎日、「神さま、私に会ってください」「私に声を聞かせてください」と祈ってみてはどうでしょうか?
スマホを手にしたり、自分を忙しくさせる前に、神に礼拝を捧げてください。