今回は、日曜に仕事をしたらダメなんですか?「日曜に働かず教会へ通う意味」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。
このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて4年のこうきさんがゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。
この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
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こうきさん、今回はどんな質問が来ていましたか?
今日は、日曜日、安息日のことについての質問です。
「日曜日働いている日本人はたくさんいます。
日曜日も働く人がいなければ、日本は回らないので、日曜は教会に行かなければならないという概念を壊した方が、日本人はもっとキリスト教や教会ってとっつきやすくなると思う。
飲食店やコンビニ、交通機関やガソリンスタンドなど、日曜に働いている人の店やサービスをクリスチャンは利用しているわけですし、イスラエルみたいにみんながそういう考えでそういう国なら成り立つでしょうけれども。
日曜に教会に行かない=神さまより仕事を優先している、このクリスチャンの考えがおかしいなと思う。
それならそういう考えを持つクリスチャンは、日曜日は買い物とか交通機関に乗るとか労働者のサービスを全く利用しないなら、筋が通ると思います。
自分は、日曜日は教会に出席し礼拝をするので働けません。仕事してる人は仕事を休み教会に行くべき。
でも自分は、日曜日に働いている人の店を利用します。お前ら教会行けよ。
これって矛盾していませんか?」
という質問です。
日曜日に働かず教会に行く意味は?
「日曜に教会に行けよ」という割には、クリスチャンは交通機関とか買い物とか労働者のサービスを結構利用している。
教会に行けよ、と言いながら働いてる人たちのサービスを受けてるじゃないかと、矛盾してるだろうというようなご質問です。
こうきさんは、どう思いますか?
もちろん、僕も日曜日色々な働いてる方のサービスを使ったり交通機関を乗ったりしてますが、それがなくてもいいかなと思っているんですよね。
日本社会全体がそうなったら、それに適用されていくものだと思います。
信仰がある人が増えていったら、日曜日閉める店が増えていって、いずれ日曜日はサービスは無いもの、となると思います。
確かに今、使っちゃってますけど、使わないで一日過ごせるなと思いました。
ただ、この質問者の方は、クリスチャンで教会に来いって言ってる人はまずサービスを使うなということを言ってますよね。
使うんだったら言うな、言うんだったら使うな、ということじゃないでしょうか。
僕は使わくてもいいです。
でも今使ってるでしょう? それは矛盾してるだろって言われてるのかもしれない。
クリスチャンの行動は矛盾している?
確かに。
この質問の背景を考えると、この方は日曜日働いてらっしゃると思うんです。
なので教会に行けていないっていうところがあると思うし、冒頭にあった「日曜は教会に行かなければならない」という概念を壊した方が日本人はもっとキリスト教とか教会でとっつきやすくなると、おっしゃってました。
これは僕の考えですけれども、それだと世の中に神さまを従わせてる感じがします。
神さまの御言葉がこの世を統治され作っている。神さまを上に置くのであれば、その神さまが休みなさいっていうものに関してまず休むことが重要だと思います。
でも、やっぱり働かざるをえないとか、それに従えなかったりとかっていうことは、僕も御言葉全部守れてないので「神様ごめんなさい」と言って悔い改める、という姿勢なのかなと思ったりします。
こうきさんが思うのは、聖書の中で安息日を守りなさいというのがあるから、まずそこに対して僕らが合わせていくという姿勢が大事で、なんでもありではない。
それは僕らとか社会の通念に、クリスチャンの基準を合わせてるような感じがするということですね。
それによってキリスト教や教会がとっつきやすくなったとしても、それって本末転倒な気がします。
メッセージがなくなりますよね。いつでも礼拝していい、いつでも教会行っていい。果たしてそれで人は来るんでしょうか?
僕の考えを言うと、矛盾していないと思います。
「自分は日曜日は教会に出席し礼拝するので働きません」という話ですけども、ちょっと単純化しすぎてるなと思っていて、理由を3つ挙げました。
矛盾していない理由① クリスチャンが日曜日は礼拝以外何もしてはいけない、とまでは言っていないから
日曜日に仕事をするかしないか、サービスを利用するかしないかという論点ですが、イスラエルは徹底してるんです。
イスラエルという国は、安息日を絶対に守ります。でも、困ってる人を助けなかったユダヤ人に対してイエスさまが「ちょっとやり過ぎだ」って怒る場面が聖書にあるんです。
安息日でも自分の家畜が穴に落ちてたら助けるでしょう、という箇所です。でもユダヤ教の人にとっては、それも労働になってしまうので、助ける行為はNGです。
でも、神さまはそのために安息日を作ったわけではないですよね。家畜が死ぬのを人間がただ見るしか無い、ちょっと愚かじゃないですか?
このようにカチコチにしてるのは宗教家の話で、イエスさまは安息日を人間のために作っていて、家畜を助けることは全然罪ではないわけです。
要するに神さまを覚えなさいと言ってるのが一番なので、仕事をしないということに縛られると、逆にそれは宗教的になってしまいます。この質問者の方が、少しカチコチになり過ぎてるんじゃないのかな?と思います。
礼拝って、だいたい長いところでも2時間ぐらいです。
2時間ぐらいは、サービス利用しないというのはいいんじゃないでしょうか。2時間ぐらいは例えば携帯の電源を切るとか、神さまに集中するといいですけども。
他の時間は、コンビニで何か買ったりとかインフラもあるので、そこまで神さまは強要しているわけじゃないと思います。
そもそも安息日の定義を考えてみましょう。
聖書の安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没で、それはユダヤ人に与えられているものです。なので、僕らは別に曜日としては守っていないんです。
でも、そこにあるエッセンスは1週間に1回は休みなさいということなので、そこを僕らは守る。
一応、今は日曜日ということになっていますね。(なぜ日曜日なのかというのは、違う動画で取り上げますね)
日曜日に、全く仕事をしない。サービスも利用しない。というところまで、聖書は言っていないと僕は思います。
(できるなら、イスラエルのようにやるに越したことはないですが)
なぜかというと、教会の中でも奉仕してる人っているじゃないですか。こうきさんは、パワーポイントの操作してますよね? これも、労働ですよ。
パワーポイントの操作も、労働に入る、確かに見方によってはそうですかね。
でも、見方によっては礼拝ですよね?
僕も牧師として日曜日に働いています。
日曜のメッセージとかは、仕事ですか?
僕にとっては仕事です。僕は神さまのために好きでやってます。僕は牧師なので、一番自分がみんなに仕える日は日曜日です。
だいたいの牧師は月曜日に休むことが多いです。
日曜とは別に休むということですね?
大体、教会の中で日曜日働いて疲れるから、月曜日を休日にしている牧師や教会が多いです。ということは、安息日は牧師にとっては月曜日になるとも言えます。
ただ、安息日というのは体を休ませるという意味では月曜日だけども、日曜日で礼拝をささげるのは、ある意味では安息ですよね。
体を休ませるだけが安息日ではありません。でも、それだけだと体は疲れるので牧師は月曜日に休むというのが慣習になっています。
その時点でちょっとおかしいし、そもそも金曜日の日没じゃないしという、そもそもの前提がありますね。
色々と現状に合わせてる部分はあるんですね。
でも、それを神さまが「あなたそれは罪だよ」って世界の教会に対して言うでしょうか?
日曜日休みじゃなくて、あなたたち本当は金曜日の日没ですよ!って、言わないでしょう? 私たちを律法に縛りつける神さまではありませんよね。
ということは、質問の方が言う「日曜日に休んで教会に行く必要はない」ということになってしまいますか?
それは後で説明しますね。
まず矛盾してるかしないかで言うと、1つ目の理由としては「日曜日は礼拝以外は何もしない」とまでは言ってないので、そこは言い過ぎかなというところです。
僕なりに基準を下げると、日曜日に1時間でも教会に集まって礼拝することでも、僕は神さまを優先していることになると思うんですよ。その間だけは仕事を入れないという覚悟です。
幸喜さんもそうですよね? しようと思えば、午前中に仕事のアポ取れますもんね、個人の事業主だから。
元々は日曜日の午前の時間が一番忙しかったんです。
ある意味、稼ぎ時ですよね。でもそれをあえて手放して、神さまに捧げるというのは礼拝行為だと思います。それで、午後から仕事する時もあるじゃないですか?
あります。午前中は神さまを優先して確保して、午後は仕事や家族の時間を取るようになりました。(私の証の動画はこちらです。ぜひご覧ください!)
もちろん、1日礼拝できたら一番いいんですけども、そこはそれぞれの人に委ねられてると思っています。
僕がこうきさんに「なんで午後仕事するんですか」って言わないですし、そこは神さまとの間で決めて欲しいと思います。
逆に、1時間だけでも確保できないのだとしたら、「神さま愛してる」って口だけなんじゃないのかな?って逆に思ってしまいます。
優先順位の問題だと、僕は実際にやってみて思ったんですよね。
なぜそう思うんですか?
日曜日は絶対に空けられないって、ずっと思っていたんです。
でも、いざささげると決めたら、そこはもうないものと考えて仕事のシフトを組んだりしてみると、意外にできるというか、何事も優先順位の問題だなと思いました。
空けたいけど空けられないというのは、本当はそんなに空けたいと思ってないんじゃないかと思います。
たった1〜2時間、バッと礼拝して、すぐ帰っても残り23時間あるんですよ。
もちろん往復に時間かかったりするので、あくまでもイメージの話ですが、午後から残っている時間で他のことをしたらいいじゃないですか。
でも僕は、理想は一日丸々休んだ方がいいとは思ってます。
矛盾していない理由② 全ての人が日曜日に休んだら国として安息日を守れるようになるから
イスラエルは成り立つけど、日本では成り立たないという部分についてですが、そもそもイスラエルは聖書信仰に立って決断する人がいたから社会が変革された結果なんです。
つまり、まずクリスチャンが草の根的に聖書の価値観を社会に示していくことで徐々に社会の構造が変わるんです。
先ほどこうきさんが言った通り、「みんなで休もう!クリスチャンが99%になったから、社会はストップして祝日のような扱いになって、逆にみんな24時間働かないといけない人たちがゆっくり休める」という国になったら、多分ハッピーになるはずです。だから、できないことではない。
でも、現時点ですべてのクリスチャンがサービスを受けることをボイコットするのは、お勧めはできないです。その行為では、ノンクリスチャンには安息日の本質はうまく伝わりません。
矛盾していない理由③ どうしても日曜日にしなければいけない仕事があることも、クリスチャンは理解しているから
例えば、生命に関わることで突発的なことは対処すべきですよね。そこは安息日であってもゆるされているんです。
それが神の義ってことですよね。
そうですよね。安息日に縛られるというのは、宗教的になることです。
安息日を作ったのは人のためであり、神さまのためです。神さまは人を愛してるわけですから。
だからと言って、さっき言ったヒューマニズム、人間に合わせるということではないですけども。
イスラエルでは、今でも軍人は防衛のために安息日(金曜日の日没)に働いています。イスラエルの軍人がみんないなくなる瞬間があるんだったら、そこでミサイル撃ち込まれてしまいますから。
でもイスラエルはアイアンドームという自動追撃システムとかを作ってますよね、それでももちろん人間が必要です。なので、なるべく安息日を守れるように努力しつつ、生命に関わる仕事などは行われているんです。
できるだけ、神さまの御言葉に合わせられるようにということですね。
イスラエルには、世俗派・正統派・超正統派という3段階があります。
超正統派がもみあげ長くて黒ずくめ、髭と黒い帽子の人たちです。
超正統派は全体の10%か20%ぐらいなのかな? 彼らは安息日に徹底して何もしません。絶対です。超正統派だから本当にしない。
一方で、世俗派は国の防衛を安息日にも行っています。ここでイスラエルの中でも派によって考え方の違いというのはあるそうです。
どうなんでしょうか、それは? 大丈夫なんですか?
イスラエルのすごいところは、お互いに違いで衝突しつつも尊敬しているところです。
超正統派がいるからイスラエルは成り立ってるよね、彼らがいるからこの聖書信仰というので守られてきた部分があるよねという立場のようです。
でも、超正統派の人は世俗派に対しては結構批判的なんですよね。彼らは真のイスラエルじゃない、みたいな。
しかし現実を見ると、世俗派がいるおかげで国が防衛されていて、彼らは生きてるんです。
直接お話を聞いたわけではありませんが、お互いにイスラエルという国の中で、みんな必要なんだという理解に立ってるというのは聞いたことあります。
もし救急隊員の場合はどうでしょうか? クリスチャンで日曜日出動要請がかかったら。
行くと思います。
午前と午後でシフトを組んだりしたら、礼拝には行けると思います。結局その人の信仰次第かな。
それか、日曜日の礼拝に行けない場合、別の曜日の夕方の礼拝を探してみてください。夕方に働いてる人のために礼拝持つ教会はたくさんあります。
最低限、今だったらオンラインで参加するというのもできますよね。
本当に全ての人が日曜日に礼拝を守れるようになったら、多くの仕事はシフト制にできると思います。
でも実際、救急とか消防、警察などそれが社会と生命に大きく影響を与えることは残るでしょう。
さっき言っていた「人間に合わせて、社会に影響を与える」のではなく、「神さまに合わせて、最終的に国自体が変化し安息日を守り、ワークライフバランスがうまくいく」というのが、聖書的な影響を社会へ与えることだと思います。
次回は、「日曜日に教会に行かないというのは、神さまより仕事を優先しているということになるのか?」という部分について、もう少し見ていきたいと思います。
まとめ
Q .日曜に仕事をしたらダメなんですか?「日曜に働かず教会へ通う意味」
A .安息日のエッセンスは、1週間に1回は休みなさいということなので、そこを私たちクリスチャンは守ります。一番のおすすめは、礼拝を優先して日曜日は休みをとり安息日を聖別することです。
クリスチャンの言動が、矛盾しているように見えて、矛盾していない理由が3つあります。
①クリスチャンが日曜日は礼拝以外何もしてはいけない、とまでは言っていない
②全ての人が日曜日に休んだら国として安息日を守れるようになる
③どうしても日曜日にしなければいけない仕事があることも、クリスチャンは理解している
神さまが人間のために安息日を定めた本質を考えていきましょう。次回の記事も参考にしてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。