根回しという言葉を聞いたことあるでしょうか?
本来は、木を他の場所に上直すのに先立ち準備する作業のことを言いますが、今では 会議などの前に事前に関係者からの了承を得ておくことを指す言葉となりました。
「根回し」とgoogle検索すると、ほとんどの場合、出世や組織において、根回しは必要だという記事が出てきます。
確かに、会社において根回しは重要な部分はありますが、
全ての物事の上におられる神様の存在を忘れてはいけないと聖書は言っています。
支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし、人をさばくのは主である。
聖書(箴言29:26)
当時、多くの人が裁判の前に支配者を訪れ、事情を説明し、好意を求めることが自分に有利な判決を導く助けになると考えていました。
その時に、賄賂を渡しておけば、物事は格段に自分の思った方向に進めやすくなります。
現代ではわかりやすい賄賂は少なくなったと思いますが、おそらく、政治の世界や会社では、形を変えて、存在しているはずです。
しかし、支配者、つまり、上司や影響力の強そうな人の顔色をいつも伺っている人は、全ての人をさばく権威を持っておられる神様を忘れています。
聖書は、賄賂を禁じています。
あなたはさばきを曲げてはならない。人を偏って見てはならない。賄賂を取ってはならない。賄賂は知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
聖書(申命記16:19)
なぜ、賄賂はだめなのかというと、「さばき」が曲げられるからだとあります。
これは、冒頭読んだ、箴言と同じことを言っています。
私たちは別に政治家でもないし賄賂をあげたり、受け取ったりしていないと思います。
しかし、自分に有利になるように、陰でいろんな人に自分に有利になるように情報を流したり、誰かが不利になるような陰口を言ったりすることも、賄賂のように誰かをコントロールすることになりえます。
問題は、私たちが誰を恐れているかということです。
人なのか。神なのか。
神を恐れるものは、駆け引きしません。駆け引きにも応じません。
祈って神様の御心を求め、決断します。
聖書を読んで、神様の御心を確認して、行動します。
自分の行動の軸が、人になっている人は、根回しを重要視します。結果、疲れます。
自分の行動の軸が、神になっている人は、神様の御心を求めることを重要視します。
そこには、信仰が必要です。
「神が正しく裁かれるので、どんな結末になっても、私はします」という信仰による決断です。
聖書の中でも、
神様を第一にして濡れ衣で牢獄に入れられたヨセフ。
バビロンで礼拝を続けライオンの穴に入れられたダニエル。
命の危険を犯して王に嘆願したエステル。
もちろん、人を恐れずに、神に従うモデルとなったイエス様こそ、十字架につけられ殺されるという結果になりました。
しかし、聖書を読めば、神は彼らの信仰を見ておられたことがわかるでしょう。