神が万物を創世したというのは、科学が未発達で人々が無知であった時のストーリーに過ぎず、現在では矛盾だらけではないですか?「科学と矛盾してない?」

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今回は、神が万物を創世したというのは、科学が未発達で人々が無知であった時のストーリーに過ぎず、現在では矛盾だらけではないですか?「科学と矛盾してない?」という疑問について、聖書にどのように書かれているのか説明していきます。

このクリスチャンQ&Aシリーズでは、クリスチャンに関わる素朴な疑問から、少しディープな問題、普段はなかなか聞きにくい内容…等について、洗礼を受けて3年のこうきさんが、ゆうき牧師に質問をしていき、聖書をもとにわかりやすく解説していくシリーズとなっています。

この記事の内容はYouTubeでも話しているので、よかったらYouTubeも見てくださいね!
取り上げて欲しい疑問や話題があれば、ぜひYouTube動画のコメントでリクエストをお願いします。

聖書は科学と矛盾している?

こうき
こうき

今回は、神が万物を創世したというのは聖書に書かれていますが、それは科学が未発達の時代、人間が無知であった時の話に過ぎず、この科学が発達した現在では、矛盾だらけではないですか? という質問です。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

この質問は本当に多いです。クリスチャンじゃない人からも、よく聞かれる質問ですね。

こうきさんはどう思いますか?

こうき
こうき

僕がノンクリスチャンだったときも、同じように思っていました。
僕らが学校で教わっていることは、「この世界は神が作った」ではないですし

宇宙の話から、地球やマグマがあって…とか、科学的な話しか教わってませんから、そういう風に思っていました。

今はクリスチャンとして、科学の世界だって全て証明されているわけではないので、あくまでも世界観のひとつと捉えています。

この世界は神が作ったと信じたいです。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

科学と聖書は矛盾してるのか?

結論から言うと、科学と聖書は矛盾しないです。なぜかと言うと、科学というのは事象を分析しますよね。どんどん発見していく、みたいな感じです。

聖書は科学と矛盾しません!

ゆうき牧師
ゆうき牧師

神さまが世界を作ったということは、本当は科学的に矛盾はしないんです。

分析する時に、神が作っているという前提なしに進めると、色々な推測や、未だ科学の中で証明されていないことが出てくるので、人間のわかっている範囲で考えようとすると、矛盾してるように感じるんですね。

例としては、昔、ガリレオ・ガリレイの時代に、教会はもともと天動説を信じていた。だけども観察によって、地動説が有力だ、という経緯があって、「昔、教会のクリスチャンたちはみんな地球は固定で天が動いてたっていうことを信じてたじゃないか。だけど実際は、そうじゃなかったっていうのは、クリスチャンは無知で、科学によって覆されたんだろう」という話、よくノンクリスチャンの方が話すんですね。

こうき
こうき

それは実際にあったんじゃないでしょうか。

当時のクリスチャンは、まだ科学が解明されていなくて天動説を信じてたけど、違ったっていうのはあったんでしょうね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

昔だけでなく、今もあると思いますよ。クリスチャンが言っていることが、全部正しいわけじゃないですから。
なぜかと言うと、クリスチャンになったからといって、神の世界、創造の世界が分かるようになるわけじゃないからです。同じ人間。クリスチャンもノンクリスチャンも一緒ですよね。
僕も科学が詳しいわけではないので、もっと学びたいと思う部分があるんですが、だからといって、聖書が間違っていると考えているわけではありません。

神さまは全部知っているはずですから。ここがすごく大事な部分です。神さまの中では矛盾がない
ただ、神さまが作られた世界の中で、人間が色々と科学や知恵を用いて頑張って証明しようとするんだけれど、全部は証明できない。この可能性はありそうだな、というところまでは行きますよね。


その過程で、クリスチャンも人間ですから、科学の一説を信じていたけど、違ってた、みたいなのもあると思います。

科学者であれば、それって日常茶飯事ですよね。こういう論文があったんだけれども、最近新しい論文が発表されたとか。食べ物もそうじゃないですか? サプリがいいと思ってたけど、悪かった。悪いと思ったけど、よかったとか。たくさん寝た方がいいっていう説もあるし、寝すぎが良くないとか、ショートスリープがいいとか…
両極端で、矛盾してるんじゃない?と感じますよね。こんなことが、科学の世界にはたくさんあります。

つまり、論点は科学は万能か?絶対か?ということです。科学は万能、絶対だと信じている人たちもいますよね。

こうき
こうき

科学が万能、絶対となると、もはや科学を宗教化してるような気もします。

人間の科学には限界がある

ゆうき牧師
ゆうき牧師

僕は、科学には限界があるんじゃないのかなと思っています。

科学って「学」ですよね。人間が求めていく過程です。極めようとしている、でも極めきれないですよね、人間の知性では。

データを取ったり、事象を研究して、事実をなるべく解明しようという試み事体は、僕はすごく聖書的だと思っています。なぜかと言うと、科学も神さまが作っているからです。
医学の進歩があるから、クリスチャンだって病院に行けば癒されるし、それも神さまは望んでおられるんです。全部奇跡で治るわけじゃないですよね?もちろん奇跡も起きますけれど。基本的に僕も病院に行くし、怪我したら整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらうこともありますよ。

神さまが、人に与えた知恵を用いて科学の進歩、医学の進歩があって、より人間がお互い助け合えるようにされているんです。

ただ、医学がどんなに進歩しても病気を完全に解決することはできないし、医療ミスは起こるし、診断ミスも起こる。だから、人間には限界はあるだろうなと思っています。

こうき
こうき

科学も神さまの赦しの中で、人間に与えられているってことですね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

そうですね、良いものとして、知恵を与えていると思います。

学問も、答えは出ないけれど益になるところがあるじゃないですか。

科学も神さまから与えられた知恵

ゆうき牧師
ゆうき牧師

例えば、人間の心理学。人間の心ってこういうふうに動くんだ、と分かってきている。
ただ、人間が完全に心理学によって戦争が無くせるわけじゃないし、夫婦喧嘩が無くせるわけでもない。でも、益になる部分はある。

神さまのすごいところは、全部知ってるし、全部問題を解決できる力がある。
人間は、神の似姿として作られたので、神さまと似たようなことができる。神さまは全部できるけど、人間の場合はひとりひとり才能や能力が違うので、ひとりで全部できるんじゃなくて、チームワークなんですよね。

行けるところまで行けるけれど、でも神さまじゃないので、最後は分かんない、という結論に辿り着く。
そして、正しいことがわかっていたとしても、正しいことができないじゃないですか、人間は。それが最終的に、聖書における罪だからです。

こうき
こうき

僕は、大学で研究していた経験があります。最終的にどこまで分けていっても、

なぜ、今こういう事が起きているのか?
例えば、携帯がどういう構造かとか、人間の心がどういう風な心理で働くかみたいなことの

機能は説明できるんですが、じゃあ何でそうなってるのかっていう理由までは分からないんですよね。
宇宙もビッグバンでできた、というところまで研究されているけど、なんで?みたいなのは誰も説明できない、科学のそこが限界なんでしょうね。

ゆうき牧師
ゆうき牧師

恐らく、神さまの存在を抜きにして、人間の科学で考えていくとビックバンというのが

一番合理的に感じるんでしょう。
でも科学的に考えると、偶然が偶然に重なって、勝手にできたみたいな確率論になります。

全て偶然の重なりなのか?

ゆうき牧師
ゆうき牧師

偶然に爆発して、僕らが生まれたとしたら?
進化して、いろんな原理があって僕とこうきさんが今話してる。こういう話をしてるのも偶然。全て偶然ということになります。
でも、感情をもった神さまがいて、神さまが僕をこういうふうに作ったんだ、意図があって今この人と話しているんだ。そういうふうに考える方が、僕は納得できます。

なので、神さまがいると信じると、科学の使い方が変わるんじゃないのかなと僕は思っています。
神さまがいない状態で科学を使うと多分、結論はないです。ただ、猿から進化して今偶然ここにいるとしか考えられない。
でも、神さまがいるって考えた科学者は、地層がぐちゃぐちゃになっている部分があって、聖書の「ノアの洪水」というできごとが本当にあったなら、科学的には地層が一気に、一瞬で変わるというのも十分にあり得ると。そのように言っている科学者もいます。

科学で聖書のことを証明しようとするんじゃなくて、聖書のことが本当だとしたら、あり得るよねってことです。

さっき言いましたけれど、人生の目的や意味は科学では見出せないと思います。

ある無神論者で科学もよく勉強してる人が、神がいないと仮定するなら、世の中に一切目的はないと言ったんです。

こうき
こうき

科学をいくら極めようと、目的まではわからないって、僕も経験があるので、そう思います。

私たちが存在している目的を、科学では説明できない

ゆうき牧師
ゆうき牧師

なぜ生きてるんだろう? なぜ頑張ってるんだろう? なぜ愛してるだろう? なぜ結婚するんだろう? 刹那を生きればいい? 生きて何の価値があるのか? みんな疑問に思いますよね。

でも、神さまがいるんだったら、神さまが、自分を目的を持って作って愛してくれて

この世で人を愛するために生きるっていう目的もあって、死んだ後には神さまと天国で生きるという目的がある。
聖書にはもっと詳しく書いてますが、そっちの方が僕はしっくりきます。クリスチャンはそこに希望があるんです。

まとめ

Q .神が万物を創世したというのは、科学が未発達で人々が無知であった時のストーリーに過ぎず、現在では矛盾だらけではないですか?科学と矛盾してませんか?
A . 矛盾はしていません。科学的に矛盾しているように感じる理由は、神と人間では知性のレベルが全然違うため、私たちの知性や科学が追いついていないからです。

科学はそもそも万能でも絶対でもなく、いまだに科学で証明できていないことも多く、証明されたことであっても仮説に過ぎないということは多くあります。科学は、あくまで、神が創られた万物を研究し、解き明かす手段に過ぎません。
また、神が万物を創造していないと仮定すると、全てが偶然の産物になり、人間は目的を失います。

もし皆さんの中で、何かアイデアや、こんな風に考えています、というのがあれば、ぜひコメントにいただければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。このメッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。

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