はじめに
Googleで断食と検索すると、全部がダイエット目的の断食(いわゆるファスティング)の情報でした。
最近はダイエット(減量)目的だけではなく、身体の機能回復(デトックス)を狙ったプチ断食も流行っています。
僕も、あえて食べないプチ断食をたまにします。
しかし、この断食はそもそも、宗教的な目的のために行われるものでした。
キリスト教やユダヤ教だけではなく、イスラム教や仏教でも断食は大切です。
マタイ6章の前半では、ユダヤ教で一番大切な3つの宗教的行為が出てきます。
その中にこの断食も入っています。
施し(6:2-4)
祈り(6:5-15)
断食(6:16-18)
ちなみに、ここに「メッカへの巡礼」と、「信条の暗誦」の二つを加えると、イスラム教の宗教活動の五つの柱になります。
それだけ大事な断食ですが、皆さんは断食していますか?と聞かれればどうでしょう。
そもそも、ダイエット以外でなんで断食をするのかよくわからないという人がほとんどなのではないでしょうか?
今日のメッセージを聞けば、「断食をする本当の理由」がわかります。
それがわかると、私たちと神様との関係の間にある、不純物が消え去ります。
まさに、霊的なデトックスです。
私たちの身体はたまにプチ断食が必要なように、私たちの魂も定期的なデトックスが必要なのです。
もし、最近「霊的に変だな」「なんか気持ちが塞ぎ込んでいるな」と思われる方。
今日のメッセージをしっかりと聞いて、2021年は、霊的にデトックスして、神様と密接で、健康的な関係を気づいて参りましょう。
このチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。
「断食をする本当の理由」とは
16節から17節には、イエス様が断食するときの注意点について語っています。
A. 断食するときの注意点→人ではなく神にする
16 あなたがたが断食をするときには、偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。彼らは断食をしていることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。
聖書(マタイ6:16-17)
17 断食するときは頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
2つですよね。
人に見せるために暗い顔をしたり顔をやつれさせたりしてはいけない。
むしろ顔に油を塗り、顔を洗う。
どういうことかというと、断食していることが他の人にバレないように、至って普通に生活しなさいということです。
偽善者たちとは、ユダヤ教の指導者であるパリサイ人たちのことで、彼らは人に見せるために断食をしていました。
一週間に2回 (モーセが律法を受けるためにシナイ山に登った木曜日と降りた月曜日)です。
なぜ、他の人にバレないように、普通を装って生活しないといけないのでしょうか?
なんでだと思いますか?
聖書にはっきりと答えが書いています。
それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
聖書(マタイ6:18)
断食は、人ではなく神にするものだからです。
当たり前ですが、これは結構、根深く、身近な問題です。
今している仕事、資格の勉強、頑張っている趣味、子育て、夫や妻、親のためにすること。
「私はこんなに頑張っている」とアピールしたくなる時、ありませんか?」
アピールが怒りになる場合もよくあります。
誰かが感謝しないとき、「こんなにやってるんだから」という思いが少しでもあると腹が立ちます。
していない人がいたら腹が立ちます。
でも、よく考えたいのです。
「あなたはそれらをなんのためにしていますか?」
他人に見せるため?他人に認めて欲しいため?褒めてもらいたい?
もし、「良い行い」がそれらの理由で使われるなら、そもそも自己肯定感が低かったり、比較意識を持っていたり、満たされない承認欲求がる場合があります。
私たちは人のためにしますが、最終的なゴールは、神のために設定する必要があります。
今日の箇所でイエス様は、断食もそのようになる危険性があると言っているのです。
食事を抜くという行為が、自分のセルフイメージの低さを埋めるための手段になっていないか?
断食という宗教行為が、誰かに認められるための手段になっていないか?
そのような断食は、本来の断食の意味とは全く正反対です。
人に見せるだけの単なるパフォーマンスではないということです。
食物を抜く苦行でもないし、
もちろん、健康のためのダイエットでもないのです。
これらは、全部、自分に焦点があたります。
そうではなく、断食の真の目的はこの世の事柄から目を離して、神に目を向けることです。
では、聖書がいう断食とは何なのでしょうか?
B. 断食とは何か?→神に求める祈りと人に与える行動
聖書を見ると、断食には、ご飯を食べないことに加えて、2つの具体的行為が伴います。
①傷ついたり、重くて担いきれない心を主の前に吐き出す切実な祈り
断食には、肉体的苦痛が伴います。
初めて断食した時、一食抜いただけで、僕の場合、頭の中にステーキ、ケンタッキー、ラーメンなど油っぽいものがぐるぐる回りだし、想像以上に時間が長く感じて大変でした。
断食とは、その苦痛や忍耐を通して、深い罪の自覚と畏れをもって神に近づくことであり、熱心な祈りと悔い改めを表現する行為です。
聖書で断食した人たちの例を見て見ましょう。
・モーセ(申命記9章18節)
イスラエルの民の犯した罪のために40日40夜主の前に断食しました。
・イスラエルの民(士師記20章26節)
ベニヤミン族の罪のために泣いて断食しました。
・サムエル(1サムエル7章6節)
ミツパでイスラエルの犯した罪のために断食しました。
・ダビデ(2サムエル12章16節)
バテ・シェバとの間に出来た最初の子どもの病気のために断食をしました。
・イエス様(マタイ4章2節)
公生涯に入るに当たって40日40夜、断食をなされました。
・アンテオケ教会(使徒13章2~3節)
世界宣教のために、礼拝と断食と祈りを捧げました。
他にもたくさんあります。
共通点は心を注ぎ出して「謙遜」に神の前に出ることです。
言い換えれば、いのちをかけて神にすがることです。
なので、単なる儀式とか、人に見せるとかそういうレベルのものではないということです。
もう一つ、聖書が定義する断食の意味があります。
知っている人いますか?
それは、②苦しむ人を助け、束縛を解いてあげる現実的な行為
ちょっと難しいですね。
一言で言うならば、誰かのために具体的行動を持って助けることです。
6 わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
聖書(イザヤ 58:6-7)
7 飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。
え?って思いませんか?
断食って、ご飯抜いて、祈ることというイメージがありませんでしたか?
それももちろんですが、聖書には、
虐げられた者たちを自由の身とするとか、
飢えた者にご飯を分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることと書いています。
これは、どう言うことかというと、断食して祈っていても、実生活では周りの人を乱暴に扱い、いじめていたり、親孝行もしないなら、
その断食は偽善だと言っているのです。
イエス様が言われたことと全く同じです。
断食とは、人の注目を得るための手段ではなく、むしろ、人のために与えて行くことです。
何かを得るためにご飯を抜くのではなく、人を愛するためにご飯を抜くのです。
これは、神に心を注ぎ出し、神の御心とひとつになって行くと必然的に起こることです。
なぜなら、神様の御心とは、神を愛し、隣人を愛することだからです。
本当に心を注ぎ出し、神と心が一つになり、隣人のために行動して行くなら、結果として神様からの祝福もあると聖書は断言しています。
C. 断食の祝福
それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
聖書(マタイ6:18)
神様の御心と一致していくことですが、結果として報いがあります(18と16の報いという言葉に注目)
もらうために断食するんじゃないですよ。本当に断食すれば、報いがついてくると言うことです。
似ているようで違うので注意です。
イザヤ書の続きには祝福の約束があります。
6 わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
聖書(イザヤ 58:6-7)
7 飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。
8 そのとき、あなたの光が暁のように輝き出て、あなたの回復は速やかに起こる。あなたの義はあなたの前を進み、主の栄光があなたのしんがりとなる。
聖書(イザヤ58:8-12)
9 そのとき、あなたが呼ぶと主は答え、あなたが叫び求めると、『わたしはここにいる』と主は言う。
もし、あなたの間から、くびきを除き去り、虐げの指をさすことや、邪悪なことばを取り去り、
10 飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。
11 主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。
12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは代々にわたる礎を築き直し、『破れを繕う者、通りを住めるように回復する者』と呼ばれる。
まだまだ続きますが、ここまででいいでしょう。
断食の祝福をまとめると、
①人生の暗闇がなくなる
②病や心が癒やされる
③罪と咎から解放される
④神様との関係が回復する
しかも、すみやかに。すぐに。
なぜ、今までこのような祈りが、答えられなかったのか?
神様の御心からズレていたからです。
あなたが本当に隣人を愛し、お世話するなら、神があなたを愛し、お世話します。
滝のような祝福があなたを追いかけます。ミサイルのような祝福です。
まとめ
まとめましょう。
A. 断食するときの注意点
→人ではなく神にする
B. 断食とは何か?
→神に求める祈りと、人に与える行動。
①傷ついたり、重くて担いきれない心を主の前に吐き出す切実な祈り
②苦しむ人を助け、束縛を解いてあげる現実的な行為
C. 断食の祝福
①人生の暗闇がなくなる
②病や心が癒やされる
③罪と咎から解放される
④神様との関係が回復する
もし、今、問題を抱えているならば、断食してみてはどうでしょう?
人に承認してもらいたいという動機ではなく、本気で、人生を変えたいというあなたの本気度を神に見せるのです。神様に心を注ぎ出し、求めるのです。
そして、同時に、周りの人を愛する行為を行なってください。
一食抜いて、その時間本気で祈李、その一食分をクレジットカードで1000円分、飢餓機構とかに寄付してみてはいかがでしょう?
一食分、困っている人にご飯おごって話を聞いてあげるとか。一ヶ月分貯金して、誰かのためになることに使うとか。
断食している間、ボランティアするとか。誰かの子供を預かるとか。
家族のために掃除をする。茶碗洗いする。風呂掃除する。
神に求める祈りと、人に与える行動。
これが断食です。そうすれば、神の祝福が必ず、あなたの頭の上に降ってきます。