山上の説教㉘ 富に対する教え③「〇〇するならお金の心配は不要」(マタイ 6:25-34)

この記事は約9分で読めます。

はじめに

世界の中でも間違いなく恵まれている日本人なのに、なぜ、多くの人が「もっと多くの財産があれば幸せなのに」と思ってしまうのでしょうか。
理由の1つとして、日本人の生まれ持った遺伝子が関係していると考えられます。
別名「幸せホルモン」と呼ばれる、セロトニンという神経伝達物質をご存じでしょうか。
このセロトニンが脳内から減ると、人は不安を感じたり、気分が落ち込んだりしやすいと考えられています。

セロトニンの分泌量を左右するのが、「セロトニントランスポーター遺伝子」です。
この遺伝子にはセロトニンの分泌量の少ない「S型」と、分泌量の多い「L型」の2種類があり、その組み合わせによって、「SS型」「SL型」「LL型」の3つに分かれます。
日本人の65%は、不安を感じやすい「SS型の遺伝子」を持っているそうです。
ちなみに、アメリカ人は、SS型が19%で、ほとんどの人が楽観的です。

つまり、「もっと財産があれば」とか、「老後2000万円問題」があれだけ論議を呼んだのも、日本人が「強欲」だからだというよりはその過剰な「心配性」のせいです。
不安は、すぐにマスコミに煽られて伝染するのです。
心配は危険を察知するために必要な本能ですが、度が過ぎると、心身ともに疲弊し、ストレスに押し潰されそうになります。

「心配」とはいい意味では、心を配ると書きますが、一方「心」が支配されるとも書きます。
お金に過剰に心配する人の心は、不安に支配されるのです。
では、どうすれば、このお金の心配から解放されるのか?

このチャンネルでは、聖書の終末預言シリーズという世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた動画や、人生に適用できる3分間の聖書のメッセージ動画をアップしています。聖書に少しでも興味のある方、人生を変えたい方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

お金の心配から解放されるには?

聖書は一言で言っています。
「神を第一にするならお金の心配は不要」である。
なぜ、お金の心配が不要なのか?
イエス様は、3つの理由を話されました。

①命や体が与えられているか

ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。

聖書(マタイ6:25)

心配するな、なぜなら、大切な命や体を神が与えて下さっているでしょ?
だったら、食べ物や着物といった、より小さなものも神が備えて下さるに決まっている。
と言うことです。

②鳥や花が養われているから

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。

聖書(マタイ6:26)

種まき、刈り入れ、倉に貯蔵している鳥を見たことありますか?
ペットとは違い、野生の鳥は、自分で食べていけます。
神様が餌を備えているからです。
野の花も同じです。

なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

聖書(マタイ6:28)

野の花は、頑張るわけでもなく、自然と育ち、美しく装っています。
家の中では人間が水をあげますが、野の花は神様が雨を降らせます。
雨は人間がコントロールできません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。

聖書(マタイ6:29)

野の花は春のイスラエルで咲き乱れるアネモネである可能性が高いと言われています。
アネモネは赤と紫で、ソロモン王の服の色を想像させます。
この花も、最後には夏の強い日差しに焼かれて枯れ、貧しい人々のかまどにくべられる燃料になっていました。

今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。

聖書(マタイ6:30)

たちまち枯れてしまう花でさえソロモンの栄華に勝る美しさが与えられています。
それならば、鳥や草よりはるかに重要なご自身の子たちの世話を神がしないはずがないという論理です。

もちろん、ここでは、心配することが禁じられているのであって、働くことが禁じられているのではありません。
鳥でさえ餌を得るために多くのエネルギーを使います。
鳥は餌を探す必要はあるが、その餌は神様によって提供されるということです。
できるところまで努力し、それ以上は神にゆだねて心配しないことが、信仰者にふさわしい生き方だと言うことです。

③心配は無駄であること

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。

聖書(マタイ6:27)

究極的には私たちの命(ここでは寿命)そのものが神の手の内にあり、私たちにはそれを延ばすことが出来ません。なので、心配は無駄です。

たくさん心配して、明日の天気が変わりますか?
明日がわかるようになりますか?
明日は、神にしかわかりません。

神の領域は神に任せるのが安心で最善です。
①命や体が与えられているから
②鳥や花が養われているから
③心配は無駄であること
つまり、①〜③の理由から、一つの結論が導き出せます。
それは、心配は性格や状況が問題なのではなく、その人の信仰が問題であると言うことです。

「神様に目を向け、神様を信じること」
それだけで心配はなくなるということです。
神を知らない人なら、心配するのも不思議ではないと言います。
だって、私たちを養う神様を信じなければ、自分で頑張るしかないんですから。

これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。

聖書(マタイ6:32)

しかし、キリストを信じている人が衣食住のことで心配するなら、それは〈天の父〉を信頼していない証拠となります。

つまり、心配する人は、信仰の薄い人です。

今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。

聖書(マタイ6:30)

聖書を読む上で、もっとも大切なことは、神様がどう言うお方かを知ることです。
私たちを愛し、守り、導いてくれる愛なる方。
私たちに最善の道を教え、悪い状況から救ってくださる力ある方。
そのお方があなたのうちにおられる。
つまり、心配無用です。

そもそも、衣食住のことで思い煩っているとしたら、本当に心配すべきことに気づいていないのです。
聖書は、本当に心配すべきことがあると言っているのです。
これが今日のポイントです。
心配すべきことというか、今、エネルギーを使うべきことです。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

聖書(マタイ6:33)

「神の国と神の義」を求めることです。
「神の国と神の義」とは、死んだ後の天国の話ではありません。
天国に行くために努力したり、天国に行く準備をすることではありません。
それはすでに与えられています。

聖書の「神の国」まあ、天国でもいいですが、ちょっと、私たちの考える天国と違うんです。
聖書の「神の国」天国は、信じる時から、この地上で私たちを通して広がっていくものです。
つまり、神の国を求めるとは、「神の支配」が現実生活で現れること。
神の義を求めるとは、「神の御心」が実生活で現れることです。
パウロは、それをこのように言い換えました。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。

聖書(1コリント10:31)

神の国と義は、自分の行動の良し悪しだけではなく、人間関係を通して実現します。
他人を愛し、赦し、良い関係を気づくこと。
それは、家庭から、学校、職場、そして社会全体に波及していくのです。
毎日そのことを考えて行動している人は、衣食住のことで心配する余裕すらないでしょう。
これは優先順位の問題だからです。
「神の国と神の義」を求めていない人は、それ以外の衣食住のことで頭がいっぱいになります。
これは、心理学的に、当たり前だそうです。

ダイエットしているのに、ケーキの誘惑に負けてしまうことはよくあります。
実は、「ケーキをを食べない」と「意志の力」で戦おうとすると、ほぼ負けてしまうらしいです。
余計にケーキのことを考えてしまって、余計に食べたくなる脳の性質があるからです。
つまり、衣食住のことで思い煩う、衣食住は全部お金が絡むので、言い換えれば、お金の心配をしている人は、「神の国と神の義」を求めていない人です。
聖書は、「神の国と神の義」を求めれば、衣食住の問題は、必然的に解決されると書いています。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

聖書(マタイ6:33)

これは、みなさん、黄金律です。絶対、そうなります。
僕もKBIの時に経験しましたし、開拓する時も経験しましたし、今も日々経験しています。
聖書が、神様が、「これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」と言っているんだから、僕たちが「いやいや」とかいう必要はありません。

国のために働く政治家は、「明日自分が食べていけるかな?」なんて考えません。
税金を通して保障されています。
悪用はダメですが、お金の心配よりも、国の未来と国民のために働くことが最優先だからです。
国のために働く兵士もそうです。
兵士の衣食住は、国が負担します。

国民の命と平和を守る兵士に、副業する暇なんてないのです。
であるなら、神の国と神の義を、この社会に広げるという重要な使命をもったキリストの弟子たちは、どうでしょう?
国ではなく、神があなたの生活を保証していると言っているのです。

あなたが今、している心配は何でしょう?
衣食住のための苦労であるなら、少しズレています。
「生活がかかっているんだ!」「家族を養うんだ!」と言いたくなるでしょう?
わかります。でも、それは聖書的ではないんです。
厳しいですね。優先順位が逆です。

あなたのエネルギーと時間、才能や能力を、衣食住に使わないでください。
神の国と義のために使ってください仕事をするとき、お金だけのために働くのではなく、職場で神の国が広がることを意識してください。
そうすれば、「どうでもいい仕事」が、「尊い神の仕事」になります。
職場に着いたら、祈ってください。主の祈りを職場でしてください。
人と会う時、聖霊が働いて、キリストの愛が流れるようにしてください。
どんな小さなことでも忠実に、キリストの名が崇められるようにしましょう。

みなさん、日本にリバイバルが来ると信じていますよね?
準備しましょう。
私たち一人一人が今、できること。今していることが、来年に繋がります。
衣食住の心配ではなく、日本での神の国の実現のためにひとつになるなら、神の教会は力強く前進します。未だかつて、見たことも、聞いたことも、ないことが起きます。
リバイバルはまず私たちが神を見ることから始まるのです。

まとめ

まとめましょう。

「神を第一にするならお金の心配は不要」である。
①命や体が与えられているから
②鳥や花が養われているから
③心配は無駄であること

つまり、①〜③の理由から心配は性格や状況が問題なのではなく、その人の信仰が問題であると言うことです。
「神様に目を向け、神様を信じること」
それだけで心配はなくなるということです。
本当に心配すべきは、「神の国と神の義を求めて生活しているか?」ということ。

神を第一にしましょう。
職場で、家庭で、平日の普通の生活の中で、神の国が広がることに励みましょう。
お金は後からついてきます。

タイトルとURLをコピーしました