山上の説教㉚ 人をよく見極めて〇〇を伝えること 「豚に真珠の本当の意味とは?」(マタイ7:6)

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はじめに

プッシュ型マーケティングと、プル型マーケティングって聞いたことあるでしょうか?
直訳すると「プッシュ(Push)=押す」「プル(Pull)=引く」といった意味です。
ここ20年で、営業スタイルや、マーケティングが、プッシュ型マーケティングからプル型マーケティンに変わってきているのです。
どういうことかというと、以前はプッシュ型多かったのです。

例えば、テレビ・ラジオなどのCM、新聞・雑誌広告、折り込みチラシ、メルマガ、FAX、DM。
営業で言えば、訪問(飛び込み)営業、電話営業などです。
一方、最近多くなっているプル型は、インターネット(検索)、SNS、YouTube。
営業で言えば、紹介、口コミなどです。
どっちが良いかではなく、バランスが必要です。

しかし、なんでいきなりこんなビジネスの話をしたかというと、教会の伝道スタイルにも同じことが言えるからです。
以前は、チラシ配布や、阿佐ヶ谷姉妹のモノマネのようなピンポーン「幸せですか?」プッシュ型が多かったです。
僕だったら、ポストにチラシを投函されたら、結構嫌です。
でも、いまだにこれらのスタイルから脱却できない教会も多いです。

悪いわけではありません。
しかし、プッシュよりも、プル型の伝道スタイルが「今の時代」にあっている気がしてならないのです。
YouTubeは、見たい人だけが見ます。
興味ない人は、そもそもクリックしません。

僕はブログもやってますが、Google検索で「聖書」に興味のある人が自ら見にきてくれます。
もしかすると、今まではごく限られた人に、プッシュしてきた。
しかも、興味のない人にもプッシュしてしまった。
これによって、宗教のイメージ、つまり、「勧誘される」という悪いイメージがついたのかもしれないのです。
今日の聖書の箇所を見れば、実は「興味のない人」にプッシュすることを、そもそもイエス様もすすめていないことがわかります。

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人をよく見極めて福音を伝えること

聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。

聖書(マタイ7:6)

ちょっと、びっくりする言葉がイエス様の口から出てきます。
「豚に真珠」ということわざを知っている人も多いのではないでしょうか?
「値打ちが分からない者に、価値があるものを与えても無駄であること」を意味することわざです。
実は、このことわざの由来は、聖書の今日の箇所です。

もちろん、本来イエス様の言葉なので、「値打ちが分からない者に、価値があるものを与えても無駄である」という意味でイエス様も使っています。
では、イエス様が例えた、「豚」って誰のことなんでしょう?「真珠ってなんでしょう?」

イエス様は、2つのことを話しました。
聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。
両方、同じ意味です。
なぜ、2つの表現で言い換えたのかというと、強調のためです。
「聖なるものを犬に与えてはいけません」の「聖なるもの」は、旧約聖書では、「神に属するきよいもの」を指しました。
これは、当時のユダヤ人たちはすぐにわかったでしょう。
例えば、祭司や彼らの家族たちだけが食べることのできた聖なる食べ物のことでしょう。

33 彼らは、自分たちを任職し聖別するため、宥めに用いられたものを食べる。一般の者は食べてはならない。これらは聖なるものである。
34 もし任職のための肉またはパンが朝まで残ったなら、その残りは火で燃やす。食べてはならない。これは聖なるものである。

聖書(出エジプト 29:33-34)

「真珠を豚の前に投げてはいけません」の「真珠」は、神の国のメッセージです。

45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。
46 高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。

聖書(マタイ13:45-46)

では、「犬」や 「豚」は誰でしょうか?
「犬」と「豚」は律法では汚れた動物で、当時のユダヤ社会では異邦人がこのように呼ばれていました。
異邦人とは、ユダヤ人以外で、聖書の神を信じない人たちのことです。

すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」

聖書(マタイ15:26)

つまり、旧約聖書のきよいものも、新約聖書の神の国のメッセージも、異邦人にとっては、無意味だ。
なぜ?異邦人は、聖書を知らないからです。
しかし、それでは異邦人には福音を伝える必要はないのか?ということになります。
そんなわけありません。
キリストは、異邦人を含む全人類を愛し、十字架にかかりました。
新約聖書を通しても、神は異邦人を差別せず、むしろ、ローマ帝国を含む異邦人に福音が広がっていきました。

今では、ユダヤ教よりも、アメリカや韓国など、異邦人が福音大国になっています。
つまり、イエス様が言った、「犬」や「豚」は、単なる「ユダヤ人以外の人」という差別的発言ではなく、霊的な異邦人、つまりキリストを受け入れない全てのユダヤ人や異端人のことを言っているのです。
パウロは、偽物のユダヤ人指導者を「犬」と言いました。

犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。

聖書(ピリピ3:2)

ペテロも、ユダヤ人・異邦人を含む信者にこの言葉を使いました。

「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。

聖書(2ペテロ2:22)

つまり、聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。
という本当の意味は、福音の価値を知らずに否定する人々には、無理に「プッシュして」福音を伝えなくてもいいということです。
なぜでしょうか?

聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。

聖書(マタイ7:6)

敵対的になって「それらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂く」からです。
攻撃され、迫害され、傷を受ける可能性があるのです。
もちろん、迫害は避けては通れません。
しかし、「迫害」されて、怪訝な顔をされても「チラシをポストに入れ続けたり、「もうキリストの話はやめてくれ」と拒絶されているのに、伝え続けることはしなくても良いということです。

本当に、価値のあるものなら、押し売りは必要ないのです。
私が銀行員時代、投資商品の営業している時に、心がけていたことがありました。
それは、お客さんに「買ってくれてありがとうございます」というのではなく、お客さんから「提案してくれてありがとう」と言ってもらえるようにすることでした。

押し売りはしません。
なぜなら、本当に必要で価値のあるものなら、お客さんは自ら購入するからです。
その自信が、誠実で実直な態度になり、相手への安心感をうみます。
自分が自分の商品を信じていない、好きではない場合、自信がない場合、その雰囲気は相手に伝わります。

みなさん、福音も同じです。
聖書のことばは、世の中のどの商品とは比べ物にならないくらい価値のあるものです。
商品と言ってはいけないくらいきよいものです。
聖書もそうです。
3000円で買えるのが奇跡なくらい貴重なものです。
神のことばが書店に売っているんです!

しかも、今の時代は、無料でメッセージが聞けます。
無料だから価値がないのか?そんなことありません。
私は時間とエネルギー、いのちと情熱をかけて、この福音を提供しています。
ただし、意識しているのは、この素晴らしい死を打ち破り、人生を180度変え、世界を変えるほどの福音を「いらない」というなら、そこまでだということです。
その時間とエネルギーを、本気で聞きたいという人に使います。
これが今日のイエス様の言葉の真意、ポイントです。

ポイント
人をよく見極めて福音を伝えなさい
ただ伝えればよいのではないのです。
口汚くののしり暴言を吐くユダヤ人たちに対し、パウロは、足のちりを払い落として立ち去りました。

45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
46 そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。

聖書(使徒13:45-46)

この切り替えが大事だということです。
パウロが、頑ななユダヤ人を後にして、オープンな異邦人に伝えることを優先したので、世界に福音が伝わりました。
その結果、現在、世界の22億人がクリスチャンです。

47 主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
48 異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
49 こうして主のことばは、この地方全体に広まった。
50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。
51 二人は彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオンに行った。

聖書(使徒13:47-51)

しかし、彼らが反抗して口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払って言った。「あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。」

聖書(使徒18:6)

ちなみに、足のちりを払い落とて次の町にいけというのはイエス様の教えです。

だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい。

聖書(マタイ10:14)

これは、傲慢になりなさいという意味ではないのです。
相手を見極め、毅然とした態度をとりなさいということです。
聖書によれば、私たちは子どもです。
神は創造主であり、王です。
つまり、私たちは神の王子、王女です。

手には真珠を持っています。
唾をかけられて、殴れれて、「てめえもう帰ってくれ!」と言われても、「ごめんんさい、聖書のお話、5分だけでも聞いてくれませんか?土下座でもなんでもしますから〜。また、明日きます!すみません」
こんな卑屈な態度になる必要はないのです。
逆に、神の尊厳に泥をぬる行為かもしれません。

みなさんは、どうでしょう?
まず、この聖書のみことば、福音に本当に価値があると思っていますか?
どうせ、他の人は理解できない、日本人にはおかしな宗教の教えだと思われていると、軽く扱っていませんか?
それでは、迫害がどうこう以前に、伝えるモチベーションすらでないでしょう。
聖書は、福音をなんと言っていますか?

私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

聖書(ローマ1:16)

信じる、全ての人に救いをもたらす神の力です!
みなさんは、幾分か、この福音の力を体験しましたよね?
僕はしました。
この素晴らしい福音を、持っている。
なのに、お金や生活のさまざまなことで心配しているので、イエス様は、お金をマモンといい、明日のことは心配するなと言っているのです。

もし、あなたの手に、世界中全ての人の感染症が一瞬で治る薬と、感染を防げるワクチンがあったら、どうしますか?
世界の人にそれを配布するでしょう?
人々はどんな反応しますか?
お金を払っててでも、あなたに連絡してくるでしょう?
あなたは、無料であげますか?ワクチンに価値があると思ったら、妥当な値段を考えてつけるはずです。

あなたは悪いことをしましたか?いいえ。
ほしい人いるなら、相当の価格で売ることは全然違法ではないのです。
私たちは、全人類の罪という問題を処理するキリストの福音を持っているのです。
福音は人生のあらゆる問題を解決します。
孤独、心配、不安、中毒、絶望、病、関係の崩壊。
しかも、人間がどうしても勝てない、死という問題への解決もあります。

そして、私たちの世界は、社会は、真の希望と問題への解決を求めています。
これが、客観的な私たちの現在の状況です。
どうしましょう?
必要としている人に届けます。
いらないという人には届けません。
しかし、質問します。
必要としている人にちゃんと届けていますか?

まとめ

聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。

聖書(マタイ7:6)

これは、人をよく見極めて福音を伝えなさいという意味です。
求めない人は後にして、求める人に伝えにいきましょう。
そのためには、行動が必要です。
自分のコンフォートゾーンを超える必要があるかもしれません。

ある人は、YouTubeを初め、ある人はブログを初め、ある人は仕事を拡大させるでしょう。
私たちの手にはワクチンよりも価値のある、お金では買えない、福音があるのです。
救われる魂はたくさんいます。

そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。

聖書(ルカ10:2)

なぜ、働き手が少ないんですか?
福音という種を持っていながら、働いてないからです。

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