1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
聖書(使徒の働き2:1-2)
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
はじめに
今でも「会社は誰のものか?」という議論がなされています。
「会社は誰のものか?」
皆さんはどう答えますか?
会社は株主のもの、会社は社員のもの、会社は顧客のもの、など等、会社は誰の所有物なのかについては、様々な見解があります。
しかし、議論するまでもなく、法的には所有者は「株主」です。
株式会社以外だと出資者でしょう。
では、「教会は誰のものか?」と言われればなんと答えるでしょうか?
- 教会は牧師のものか?
- 役員会のものか?
- 信徒のものか?
- 国家のものか?
- 教団のものか?
- 公の共有財産か?
今日の箇所を見れば、教会は誰のものであるかをはっきり知ることができます。
教会とは何か?
1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
聖書(使徒の働き2:1-2)
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
五旬節とは、過越しの祭りから50日目の祭日です。
50日は7週間でもあるため「七週の祭り」とも呼ばれていました。
「五旬節」はギリシヤ語で「ペンテーコンタ・ヘーメラス」
クリスチャンにとっては、五旬節をペンテコステということが多いです。
なんとなく「ペンテコステ」という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
このペンテコステの日、何が起こったか知っている人いますか?
120人の群れに聖霊が降ったんです。
なので、ペンテコステ=聖霊のイメージがあるんです。
1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
ペテロを代表するイエス様の死と復活を信じるユダヤ人の群れ120人が集まって、祈っていたんです。
どこで?
2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
彼らのいた家
この「家」と言う単語が今日のポイントです。
彼らのいた家とは具体的にどこでしょう?
伝承によれば,この家は、最後の晩餐の「二階の広間」(マルコ14:15)、イエス様の弟子マルコの家の二階であると言われています。
聖霊が降ったのは、この小さな家の中です。
一般的には、この五旬節ペンテコステの時の聖霊降臨が教会の始まりだと言われています。
今まで、聖霊は、特別な人に、特別な場所に降っていました。
特別な人とは、モーセとか、ダビデ、サムソンとか。
特別な場所とは、幕屋とか神殿。
でも、ここでは、普通の人たちに、普通の場所で起こったのです。
まず、これを押さえてください。
立派な教会堂とか、立派なクリスチャンが教会を始めたのではないということです。
普通の人たちに、普通の場所で起こったのです。
もちろん、キーファクターがありました。
聖霊です。
普通の人たちに、普通の場所で聖霊が降った時に、教会が生まれたのです。
先ほど、「家」と言う単語がキーポイントだと言いました。
実は、この単語には深い意味が隠されています。
ヘブル語の知識がないとわかりませんが、「彼らのいた家」はヘブル語で「ハ・バイト」と言います。
「ハ」は定冠詞(The)。
「The House」その家。
「家」に定冠詞の「ハ」がつくと、実はユダヤ人は別の意味を連想します。
例えば、英語で言うと、
A bookといえば、ただの本ですが、the bookと「the」がつくと意味が変わります。
「the book」の意味、知っている人いますか?
聖書のことです。
では、「ハ・バイト」「The House」は何を意味するのでしょうか?
ハ・バイト=神殿
実は、この言葉はダブルミーニングがあって、マルコのその家だけではなく、「神殿」をも意味するんです。
本来、聖霊は神殿に満たされます。
主の栄光とも言います。
5:14 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
聖書(2歴代誌5:14-6:3)
6:1 そのとき、ソロモンは言った。「主は、黒雲の中に住む、と言われました。
6:2 そこでこの私は、あなたの御住まいである家を建てました。御座がとこしえに据えられる場所を。」
6:3 それから王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は起立していた。
ここに三つの単語があります。
全て、教会に繋がります。
- A.神の宮(神殿)
- B.家(ベイト)
- C.全会衆(ギリシャ語でエクレシア)
どうでしょう?
繋がっていますよね?
神の宮とは当時、エルサレムに建っていたソロモン王が建てた第一神殿のことです。
神の臨在が神の家である神殿に満ちた時に、教会という現実があったのです。
これは、前回のメッセージと関係しています。
教会は、ギリシャ語ではエクレシア(教会)。ヘブル語ではカーハール(全会衆)。
しかし、使徒の働きでは、聖霊はイエス様を信じる一人一人に降ったのです。
今までは、物理的な神殿が神の家でしたが、ペンテコステではその群れが神殿(神の家)になったのです。
これは、新約聖書に隠された聖書の奥義です。
- 旧約:神殿に神の霊が満ちた
- 新約:信者の群れに神の霊が満ちた
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
聖書(1コリント3:16)
旧約時代では神殿が神の家でした。
しかし、新約時代、現代に至るまで、私たち信じるものの群れが神の家になったのです。
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。
聖書(ヘブル書3:6)
神の霊が満ちるところ、それが神の家。教会です。
どうでしょうか?
バラバラだった聖書の知識が繋がっていきませんか?
聖書には旧約聖書から新約聖書まで一貫性があるのです。
ここまでを一度まとめると、
五旬節(ペンテコステ)に、普通の人に聖霊が降った。
これは、そこに教会という現実があったことを意味します。
どこで?
ハ・バイト「The house」 → マルコの家の2階です。
しかし、これはダブルミーニング、もう一つの意味を持っています。
ヘブル語でハ・バイト「The house」 →エルサレムの神殿を意味します。
- 旧約:神殿に神の霊が満ちた
- 新約:信者の群れに神の霊が満ちた
「教会は神の家」だということです。
では、冒頭の質問に戻りましょう。
教会が神の家であるならば、教会の所有者は誰になるでしょう?
神様です。
つまり、神様が、教会の所有者です。
神様が、家のホストであって、私たちは神の家で一緒に住む人たちです。
教会が神の家ならば、教会に来るときの意識が変わりますね。
自分の意志で行くよりも、招いていただいていると言う意識です。
何に、招かれているのでしょうか?
礼拝です。
礼拝ですが、もっとわかりやすい表現があります。
イエス様を囲んだ食卓です。
誰かにディナーに招待されたら嬉しいですよね?
一緒にご飯を食べながら、お話をする時間。
同じように、イエス様も、私たちを礼拝を通して、一緒に食卓を囲むように招いておられるのです。
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
聖書(黙示録3:20)
それを体験的に覚える礼拝プログラムがあります。
何でしょう?
聖餐式です。
聖餐式ってなんのためにするかわからなかった人。
繋がりますね!
イエス様が十字架にかかる前に、12弟子とともに食事をしました。
どこで?
すると、その主人自ら、席が整えられて用意のできた二階の大広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」
聖書(マルコ14:15)
マルコの家の2階です。
「ハ・バイト」です。
イエス様は弟子たちと、家の中で、食事をしたのです。
またまた、繋がります。
これが、教会です。
イエス様を中心とした、集まり。エクレシア。
26 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
聖書(マタイ26:26-28)
27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
私たちは、聖餐式をするときに、この家の主人がキリストであることを覚えます。
そして、キリストの十字架の死と復活によって、私たちに聖霊が注がれ、私たちの外ではなく、私たちのただ中にキリストご自身がご臨在されると言う奥義を体験することができるのです。
終わりに
五旬節(ペンテコステ)に、普通の人に聖霊が降った。
これは、そこに教会という現実があったことを意味します。
どこで?
ハ・バイト「The house」 → マルコの家の2階です。
しかし、これはダブルミーニング、もう一つの意味を持っています。
ヘブル語でハ・バイト「The house」 →エルサレムの神殿を意味します。
- 旧約:神殿に神の霊が満ちた
- 新約:信者の群れに神の霊が満ちた
「教会は神の家」だということです。
今日は、賛美をしてともに聖餐式を持って、神の家の主であるキリストを覚えたいと思います。