34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
聖書(ヨハネ13:34-35)
35 互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」
はじめに
クリスチャン用語で、「つまづく」があります。
『世界一ゆるい聖書入門』という本でも有名な、上馬キリスト教会(かみうま)のTwitterに【教会用語辞典】があったので、引用します。
◆つまずく
教会や信仰生活が嫌になってしまうこと。
「牧師につまずく」と言えば「牧師と気が合わず、教会に行くのが嫌になった」ということ。
「聖句につまずく」とは、聖書の一節に納得できず、信仰生活が嫌になってしまうこと。
その他、様々な種類のつまずきがある
なるほど。
さすが、わかりやすい。
なんで、教会につまづくということが起こるのでしょうか?
だって、クリスチャンが集まってる教会は、普通、問題なんてなさそうです。
だって、みんな聖書を読んでるし、何が罪だかわかってるんですよね?
そう思っているならば、もしかすると、将来つまづく可能性があります。
実は、聖書をよく読んでみると「教会」には、2種類あることがわかります。
この2種類をしっかり、理解すれば、つまづくことは圧倒的に減ります。
むしろ、教会にいく意味がわかり、教会にいくこと、所属することがもっと楽しくなります。
教会に所属する意味
①地域教会とは何か?
→地域教会は、目に見える不完全な人々の集まりです。「教会」には、普遍的教会と地域教会という二つの種類があります。
地域教会は目に見える教会であり、普遍的教会は目に見えない教会です。
それぞれ、簡単に見ていきます。
地域教会は、英語でローカルチャーチ。
地域に建てられたそれぞれの教会のことです。
札幌ガーデンチャーチは地域教会でしょうか?
はい。地域教会です。
聖書の中で「教会」という言葉が複数形で出ていれば、それは100%地域教会を指します。
パウロは、さまざまな教会に手紙を書きました。
コリント、ガラテヤ、ピリピ、エペソ、ローマ。全部地域の名前です。
例えば、
1 人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、
聖書(ガラテヤ1:1-2)
2 私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
ガラテヤは地域の名前です。
つまり、ガラテヤ地方にある、それぞれの教会へ。
というわけです。
札幌にある諸教会へ。みたいなもんです。
なぜ、パウロは大量の手紙を書いたのか?
その目的のひとつは、教会内の問題を解決するためです。
なぜ教会内に問題があるかというと、地域教会は、罪を持った不完全な人間の集まりだからです。
よく考えて見てください。
最近、イエス様を信じた人いますよね?
あなたは信じて、変わりましたか?
もちろん、信仰によって、変化があります。
しかし、罪から完全に解放されて自由になったわけではないのですよね?
いまだに、罪は犯すし、落ち込むこともあります。
じゃあ、何が変わったのか?
罪を犯した後に神に向かう信仰が与えられ、罪を犯さないように聖霊の満たしを求めるように変わったのです。
私たちは信仰によって立場が一瞬で変わりましたが、立場にふさわしい態度や人格は徐々にきよめられ、変えられ、成長していきます。
つまり、不完全なものたちが集まる地域教会に、問題がなくなることはないということです。
ここを知らないと、「教会につまづく」ことになります。
「つまづく」とは「つまづかせる存在」があることを暗示しています。
それが「教会」だというわけです。
まあ、教会にはいろんな人がいますし、牧師も不完全な人間です。
しかし、目の前に石があっても、つまづかないで避ける人もいます。
そういう人は、地域教会が不完全であることを知っている人です。
なぜなら、つまづいている人も、誰かをつまづかせることは必ずしているからです。
じゃあ、地域教会は、不完全でどうしようもない、人をつまづかせる、やばくてへぼい集団なのでしょうか?
そんなことはありません!
不完全な人が、キリストに出会い、聖霊に満たされ、みことばにしたがっていくなら、必ず成長します。
キリストは、人を変えることができるのです。
ガーデンチャーチのみなさんはぜひ、ちょっとやそっとちゃ、つまづかないクリスチャンになりましょう。
聖霊に満たされ、みことばにしたがっていくなら、霊的に成熟していきます。
成熟している人が多ければ、教会は、キリストが輝いていきます。
では、もう一つの普遍的教会は何でしょう?
英語でユニバーサルチャーチ。
一言で言えば、目に見えない、真の信者の集まりです。
普遍的教会は、時空を超える教会です。
すでに死んだ信者とまだ生きている信者も含みます。
アメリカのクリスチャンも、アフリカのクリスチャンも入ります。
普遍的教会を指す場合は、「教会」という言葉は100%単数形で出て来ます。
なぜか?
一つのからだだからです。
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
聖書(1コリント12:13)
イエス・キリストを信じているすべての人達のことですが、大切なのは、本当に「救われている」人です。
自分では信じていると自称しても、実は新生しておらず、救われていない人も存在するからです。
そのような人は、残念ながら、普遍的教会には属していません。
しかし、地域教会には属している可能性があります。
つまり、地域教会には本物の信者と名前だけの信者が存在していることです。
逆をいえば、普遍的教会が、目に見える現実で動くのが、地域教会です。
じゃあ、次のポイントです。
②なぜ、地域教会は必要なのか?
普遍的教会が真の信者であって、一つのからだなら地域教会は必要ないのではないでしょうか?
毒麦もいるなら、誰かが一緒にそそのかされる可能性がありますし、不完全な教会が社会的な評判を下げることもありそうです。
人々をつまづかせる教会は存在しない方がマシなのでしゃないでしょうか。
しかし、聖書は、地域教会は必要であると言っているのです。
なぜ?
→目に見える現実で神の国を建てあげるためです。ちょっと、難しいことを話しましたが、要するに、「現実」が大事だということです。
クリスチャンが、どんなに「素晴らしい聖書のメッセージ」を語ったとしても、現実が何も変わらず、人や社会に対する影響力が微塵も感じられないなら、それは単なる理想論です。
「イエス様を信じれば、罪が赦される!」とどんなに叫んでも、その人の生活が変わって初めて、周りの人が「本当だ!」と信じるのです。
それをクリスチャン用語で「証し」と言います。
証しとは、聖書のいうとおり神が私の人生で力を表してくださった!という実際の出来事を人にシェアすることです。
その面において、教会は「現実」を通して、聖書のメッセージが本当であることを証しできる集まりです。
例えば、聖書のメッセージは人生を変えます。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
聖書(ヨハネ8:32)
これを聖書を信じ、本当に自由に生きている人を見て、人々は「聖書は真実だ!」と思うでしょう。
そういう人たちが、地域教会にいれば、周りの人々に大きな影響力を与えます。
でも、それは、地域教会に属さなくても、証しできるよね?と思いませんか?
クリスチャンは皆普遍的教会に属しているので、職場や家庭で「真理は自由を与える」ということを実生活で証しすれば、それは素晴らしいことです。
しかし、地域教会に所属しなければ、現実の中で見えてこない聖書のメッセージもあります。
何でしょうか?
「お互いに愛しあう」という関係に基づくメッセージです。
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
聖書(ヨハネ13:34)
事実、聖書の中でもっとも大切なメッセージは何か?と聞かれたら、「神を愛し、隣人を愛すること」と即答します。
でも、愛っていうのは、ともするとただの理想論で終わる可能性があります。
しかし、地域教会で、不完全なクリスチャン同士が、愛し合い、赦しあい、支え合っていくなら、その時「愛」が現実の中で現れるのです。
愛せないものたちが、愛しあっているなら、それは神の愛によるものです。
その時、何が起こると聖書は言っているのか?
互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」
聖書(ヨハネ13:35)
全ての人が、聖書のメッセージは本物だ!と認めるのです。
何を通して?地域教会を通してです。
これは、一人ではできませんし、クリスチャンは愛を語る夢見集団、理想論だけを語る人々の集まりじゃないからです。
理想から、現実。
それを実行したのが、他でもないイエス・キリストです。
目に見えない神が目に見える人となって私たちの間で住まわれた。
愛は相手が受け取り形になります。
神は、実際に33年間の人としての生活を通して、弟子たちに、人々に、「愛するとは何か?」を現実の中で教えられたのです。
そして、イエス様は、復活後に天にのぼられました。
弟子たちを残して。
いや、弟子たちに託してといった方が良いでしょう。
現実の中で、私の教会を築いて行きなさい。
こうして、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が降って、教会が目に見える形で広がっていったのです。
どうやって?
3,000人が救われ、教会にくわわることによって。
実際の地域に教会が建てられることによって。
コリント、ガラテヤ、ピリピ、エペソ、ローマ。
こうして、神の国が広がっていき、この東の果て、日本にも、札幌駅にも教会が生まれるまで至ったのです。
いいでしょうか?
地域教会はなぜ、大切か?
現実の中で神の国を建てあげていくためです。
不完全な人々の集まり。そうです!
でも、その中で、キリストの強さ、完全さ、愛が溢れるならば、世の中の人々は、聖書がただの空論や理想論ではなく、現実を変える生きた神のメッセージであることを知るようになるのです。
ガーデンチャーチは、現実の中で神の国を建てあげていく教会になっていきます。
今は、会議室で礼拝していますが、やがておしゃれなカフェや、モエレ沼公園のような敷地で、大自然の中で、現実の中で、聖書のメッセージを具現化する教会になります。
今は、人が少ないですが、やがて、多くのビジネスマンが救われ、政治家を輩出し、芸能人・スポーツ選手、芸術家、さまざまな分野でダニエルやヨセフのようなリーダーを現実社会の中に送る教会になります。
今は、弱いですが、私たちは、聖書を学び、祈り、聖霊の力に満たされて、目に見える形で、私たちの集まりの中に、体験したことのない愛と、神の臨在、きよさがあらわれていく教会になっていくのです。
いいですか?
神のビジョンは、理想論で終わりません。
現実の中で成就します。
信じてください。
そして、この地域教会で、それを起こるのです。
終わりに
①地域教会とは何か?
→地域教会は、目に見える不完全な人々の集まりです。
「教会」には、普遍的教会と地域教会という二つの種類があります。
地域教会は目に見える教会であり、普遍的教会は目に見えない教会です。
地域教会は、目に見える不完全な人々の集まりです。
普遍的教会は、目に見えない、真の信者の集まりです。
今日は、地域教会をメインにお話ししました。
②なぜ、地域教会は必要なのか?
→目に見える現実で神の国を建てあげるため
ガーデンチャーチで目に見えない神の国が建て上がっていきます。
信じましょう。
あなたが、神の働きの目撃者になるのです。
だからこそ、理想論で終わらずに、「私は何ができるか?」「何をしていこうか?」と現実的に行動していくことが求められるのです。
地域教会は、不完全であっても、生ける神の教会です。