19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
聖書(マタイ28:19-20)
20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
はじめに
「コンフォートゾーン」という言葉を聞いたことはありますか?
コンフォートゾーンとは、日本語で、「安全領域」「快適領域」と言い、安心感があり居心地が良いと感じる心理領域のことを指します。
例えば、慣れた仕事、ルーティンワークをしている時であったり、いつもの空間にいる時であったり、気心知れた友人と会っている時であったりします。
人間は、人生の90%以上を居心地の良いコンフォートゾーンで過ごすと言われています。
しかし、自己啓発本の著者やセミナー講師はこう言います。
「成功したかったらコンフォートゾーンを抜けだしなさい!」
「成功はコンフォートゾーンの外にあるんだから!」
なぜなら、人間はコンフォートゾーンを出た時に、大きく成長するからです。
例えば、知らない人と会う時、見ず知らずの場所に行く時、新しいプロジェクトを任された時などです。
コンフォートゾーンの外にいるので、不安やストレスを感じる状態にいますが、それを乗り越える時に、以前よりも視野が広がったり、精神的に強くなったり、スキルが身に付くのです。
新しい仕事についた人、これからつく人。
仕事で新しい責務を任された人。
結婚生活が始まった人。
ストレス、プレッシャーを感じているなら、あなたは今、コンフォートゾーンの外にいます。
神様はあなたに大きな成長を期待しているとポジティブに受け止めてください。
聖書を見ると、多くの人物がコンフォートゾーンを抜けた時に、成長し、神様に用いられました。
200万人をエジプトから脱出させたモーセは、ミディヤンの荒野での羊飼い生活というコンフォートゾーンを抜けて、200万人の霊的指導者というストレスのかかる大仕事をしました。
200万人のイスラエルの民にとっては、文明の発達したエジプトの奴隷状態というコンフォートゾーンを抜けて、荒野の放浪生活に進みました。
面白いことに、奴隷状態もコンフォートゾーンです。
嫌なことでも、毎日、同じことをしてることに慣れれば、チャレンジするのはストレスになります。
事実、荒野で生活したイスラエル人はコンフォートゾーンの外の生活にストレスを感じ、「エジプトの奴隷に戻りたい」とヤバすぎる発言でモーセをボッコボコに批判します。
イエス様こそ、神というコンフォートゾーンの外に出て、人として地球に生まれました。
個人的なレベルだけではなく、私たちは教会としても、コンフォートゾーンを抜け出す必要があります。
なぜなら、教会は、コンフォートゾーンの外に出ていかないと、その目的を達成できないからです。
教会が存在する意味
前回、教会の存在目的は2つあると紹介しました。
- ①神を愛し、隣人を愛するため。
- ②神の国の拡大のため。
前回は、教会の存在目的の一つ目、①神を愛し、隣人を愛するため。だということを学びました。
多くの人にとって、特に隣人を愛するということはコンフォートゾーンの外に出ることです。
みんな、自分を愛することの方が楽だし、愛される方が快適だからです。
今日は、教会の存在目的の2つ目、②神の国の拡大のため。を学びます。
神の国の拡大とは、神を中心とする価値観、神に従う人々が、現実社会の中で増えていくことです。
人間中心の世の中にあって、神中心の価値観や生き方を表すには、コンフォートゾーンの外に出なければいけません。
では、コンフォートゾーンの外に出て神の国を拡大するために必要な具体的な行動は何なのでしょうか?
19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
聖書(マタイ28:19-20)
20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
この知らないクリスチャンがいないほど有名な大宣教命令には4つの具体的な命令が書かれています。
あなたがたは、
- ①行きなさい
- ②弟子を作りなさい
- ③バプテスマを授けなさい
- ④教えなさい
②神の国の拡大のため。とまとめて書いた理由は、
私たちが、
- 行って、
- 弟子を作って、
- バプテスマを授けて
- 教えて
いけば、神の国、つまり神の支配が、地理的にも、質的量的にも、広がっていくからです。
では、この中で一番大切なのはなんでしょう?
学者の中で、二つに分かれます。
教会が行っていく大切なこと
①弟子を作る
この4つの命令を、ギリシャ語の原語で見ると、実は2番目の「弟子を作る」という動詞だけが純粋な動詞で、他の3つは分詞です。
中学、高校で英文法を学んだ方がほとんどだと思うので、なんとなく理解できると思いますが、分詞とはメインの動詞を補助する役割があります。
つまり、「弟子を作る」ということが、イエス様の命令の中心なのです。
①人々の生活圏に出て行くこと、③人々にバプテスマを授けること、④人々を教えることは、②弟子を作ることの具体的な内容です。
私たちはバプテスマを授け、聖書を通して神様の御心を教えることによって初めて、「イエス様の弟子」を作ることができるからです。
一応、確認しますが、これは「あなたの」弟子を作ることではありません。
「イエス様の」弟子です。
また、ここで大事なことは、これは、牧師や宣教師などのいわゆる教会献身者だけに語られたものではなく、全ての人に語られているということです。
つまり、あなたに、です。
あなたが、行って、弟子を作るのです。
あなたは、キリストの弟子を作っていますか?
はい→ハレルヤ
いいえ→いま、意識してますか?あるいは、今まで、意識したことはありましたか?
教会が、どれだけ成長しているかは、「キリストの弟子が何人いるか」です。
聖書では、群衆と弟子をはっきり区別しています。
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。
聖書(マタイ 5:1)
山上の説教は、群衆と弟子に語られたものでした。
しかし、イエス様は、群衆と弟子をはっきりと区別されており、身元にいる弟子向けに語っています。
周りの群衆はそれを聞くことで、イエス様の弟子になるチャンスが与えられていました。
このようにイエス様の周りにはおびただしい群衆がいました。
しかし、弟子?もっといたと思いますが、聖書には12人。
では、
- 弟子と群衆の違いはなんでしょうか?
- あなたは群衆ですか?弟子ですか?
- あなたはキリストの弟子になりたいですか?
群衆はつまづいて離れる。
弟子は信じて従う。
群衆はお世話を必要とする。
弟子はお世話する。→キリストの弟子だけがキリストの弟子を作れる。群衆は弟子を作れない。
弟子だけが弟子を作る。
今の教会は、
群衆のままでお世話される人が多数。
弟子を作るのは、働き人だけ。
が多いのではないでしょうか?
リックウォレン
「教会が健康で活力があるかどうかは、会衆席に座っている人数ではなく、 教会から送り出された人数によって測られると私は思っている。… 教会の健康度を測る一つの重要な質問は「大宣教命令のために動員されている会員が何人いるか」 であろう。(健康な教会の鍵 p23)」
つまり、私たちがキリストの弟子になることを主は望んでおられ、真の弟子ならば、弟子を作るということ。
もう一つ、弟子を作ることと同じくらい重要なのが、
②行く
です。
なぜ「行きなさい」という命令が大事なのでしょうか?
それは、行かないと、弟子はできないからです。
ギリシャ語の原語をよく見ると、「あなたが行くところどこでも、弟子を作りなさい」という意味ではありません。
「あなたがたが出ていくとき」という条件。
つまり、イエス様は、「まず行きなさい」と言っているのです。
「行く」とはとても勇気のいることです。
言い換えるなら、信仰が試されます。
自分の快適な環境を抜け出す必要があります。
そうです。
イエス様の弟子を作って、神の国をこの社会で拡大させるには、まず、あなたが、教会がコンフォートゾーンを抜け出すことが必要なのです。
札幌ガーデンチャーチにはアメリカから来た人がいます。
彼は、アメリカのシリコンバレーにいた方が、友達も多いし、仕事もミニストリーももっと効率よくできるし、心配が少ないのに、日本に出て行きました。
私たちから見れば、「来た」ですが、彼の目線から見れば、「行った」なのです。
なぜ、日本に出て行ったのか?
神様からの「行きなさい」という命令に従ったからです。よね?
実際に、この命令を直接聞いたイエス様の弟子たちにとって、この「行きなさい」という命令はとてもショッキングだったでしょう。
それは、彼らがエルサレムの外、異邦人がいるところです。
イエス様は天に戻られる直前にこう言われました。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
聖書(使徒1:8)
ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てまでとは、ユダヤ人のいるところから、異邦人の地に広がっていくことを意味してます。
異邦人の地に「行きなさい」という命令は、彼らが、快適な環境から出なければいけないことを意味します。
言葉も違う、食べ物も違う、文化も違う。
しかし、何より、旧約聖書の律法を遵守し、異邦人とは交わらないようにしてきたユダヤ人にとって、自ら彼らのところに行くことはあまりにもチャレンジングでした。
イエス様は、現代の私たちにも同じ命令をされます。
「行って、 あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、 父、 子、 聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、 わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、 彼らを教えなさい。」
でも、イエス様の弟子を作るには、私たちの自分の心地よい環境から出て、イエス様の福音が必要な人のところへ行かないといけないのです。
いいですか?これは命令なのです。
全ての人に語られた命令。
神と人を愛している人は、この福音を携えて、行って弟子を作るのです。
自分が弟子を作ることができないと言う偽りを捨てましょう。
あなたの弟子を作るのではない。キリストの弟子です。
あなたの弟子を作るには、あなたの中にカリスマ的な魅力、素晴らしい能力、注ぎ続ける愛などが不可欠でしょう。
しかし、イエス様は、カリスマ的な魅力、素晴らしい能力、注ぎ続ける愛で溢れています。
これは神様の力によってできることであり、神様のすべての人に対する命令であると言うことを信じて従うのです。
弟子を作るために最も大切な事は行くこと。
行かなければ何も始まらない。
黙って待っていて弟子がやってくるわけではない。
あなたが言って飛び込んで、キリストを証するときに、人々はキリストの弟子として立てあげられていく。
それは関係を通して、聖霊の力によってできることなのです。
終わりに
今日、考えて見ましょう。
あなたが抜け出さないといけない快適な環境「コンフォートゾーン」は何でしょうか?
職場や、学校で「自分がクリスチャンであることを隠すこと」それがコンフォートゾーンかもしれません。
今までの快適な人間関係が壊れてしまうことを避け、「あえて友達や家族に福音を伝えないこと」それがコンフォートゾーンかもしれません。
「いつも仲の良いクリスチャンの友達とばかり交わって、ノンクリスチャンの友達と交わらないこと」それがコンフォートゾーンかもしれません。
「面倒だなあと思って行動しないこと」や「自分なんて無理と決めつける態度」かもしれません。
しかし、私たちは、自分の快適なコンフォートゾーンから抜け出して、イエス様をまだ知らない、信じていない人のところに積極的に行くように命令を受けたのです。
なぜ、ガーデンチャーチは、札幌駅にこだわるのか?
人々が教会に来ることを待つのではなく、人々の世界に「行くこと」にチャレンジするからです。
この教会の存在自体が、コンフォートゾーンの外にあるのです。
一緒に、出ていきましょう。
具体的に、SNSでガンガン広める。人を教会に誘う。経済的に支援する。自分自身が聖書を学び成長する。
ガーデンチャーチの一員になることは、居心地が悪く感じることも多くなるでしょう。
でも、そこをチャレンジするのです。
リバイバルは私たちのコンフォートゾーンの中で起こるのではなく、コンフォートゾーンの外に私たちが信仰によって出ていくときに起こるのです。