41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
聖書(使徒の働き 2:41-47)
42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
はじめに
この画像が何だかわかりますか?
ヒントは、天井にある四方位(東・西・南・北)を示すサインです。
これは、新千歳空港国際線ターミナルビル2階にある礼拝のための祈祷室です。
室内には、礼拝前に身体を清める為の施設があり、男女別の部屋になっています。
2014年以降、日本の主要の空港に、どんどん礼拝用の祈祷室が増えています。
皆さん、使ったことありますか?
私はありません。
なぜなら、この礼拝室は、どう見てもイスラム教徒のものだからです。
キリスト教も、礼拝します。
でも、礼拝室は使いません。
どうやら、礼拝と言っても、定義が違うようです。
では、皆さんにとって、礼拝ってなんですか?
こういう質問をすると、このように答える人がいます。
礼拝は、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈り、牧師の説教を聞くことです。
これは、礼拝とは何かではなく、どうやって礼拝をするかというプログラムです。
「礼拝」は間違いなく、私たちの人生の中心になるものであり、教会においても、一番優先するべきことです。
礼拝しないクリスチャンはもはやクリスチャンではないし、礼拝しない教会は教会でありません。
だとしたら、教会って何かを聖書から知ることはめちゃめちゃ大事だと思いませんか?
今日のメッセージを聞けば、礼拝とは何かを聖書から、一言で言えるようになります。
先週までは、教会の二つの大事な目的を見てきました。
- ①神を愛し、隣人を愛するため。(①礼拝、⑤奉仕)
- ②神の国の拡大のため。(②宣教、③交わり、④教育)
今日から、毎週、この目標を達成するために教会がする5つの具体的な行動を見ていきます。
- ①礼拝
- ②宣教
- ③交わり
- ④教育
- ⑤奉仕
これは、リックウォレン牧師がまとめたもので、世界中の教会で採用されています。
なぜ?わかりやすいから。二つの重要な聖句が基となっています。
- ①礼拝→神を愛する
- ②宣教→行って弟子を作る
- ③交わり→バプテスマを授ける交わり
- ④教育→教える
- ⑤奉仕→隣人を愛する
これを教会の5つの機能と呼ぶことにします。
今日は、5つのうち、最も大事なものである礼拝を3つのポイントで聖書から学んでいきます。
礼拝とは何か?
ノンクリスチャンに「礼拝って何?」って聞かれたら何と説明しますか?
礼拝とは何か?
→礼拝とは、
- ①神を正しく知り、 聖書(1コリント 12:3 、ヨハネ 4:23-24)
- ②全人格によって、 聖書(申命記 6:5 、マタイ 15:8-9、ローマ 12:1)
- ③応答すること。 聖書(ヘブル 13:15-16)
①神を正しく知り、 聖書(1コリント 12:3 、ヨハネ 4:23-24)
まず、そもそも礼拝対象の神を正しく知らないと、礼拝はできません。
「神様は素晴らしい」
「キリストは生きている」
「主は良いお方」
私たちにとっては、当たり前。
なぜ?正しい聖書の知識があるから。
しかし、頭だけの知識だけでは礼拝はできません。
ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
聖書(1コリント 12:3)
神様がどういうお方かを正しく知るには、聖霊の力が不可欠です。
難しい言い方ですが、「霊とまことによって」のみ、正しく神を知り、真の礼拝ができると聖書は言っています。
23 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
聖書(ヨハネ 4:23-24)
24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
霊は聖霊。まことはみことば。
日本語では両方、「知る」ですが、聖書の原語では、2つの「知る」という言葉が使われています。
知識として知る
体験として知る
礼拝をするためには、両方必要だということです。
そして、体験として神を正しく知ることは、
聖書から、知識として知る
聖霊によって、体験として知る
この二つが必要だと言っているのです。
皆さんは、神を知っているでしょうか?
まだまだだと思った人は、安心してください。
これは、クリスチャンになった時から、死ぬまでの課題です。
神様との日々の交わりを通して、知っていけばいいんです。
だから、毎日、聖書を読んで神様がどういうお方であるかを知り、
日々、祈りつつ、神様を体験していくのです。
こないだ、幸喜さんが証しをしてくれましたね?
あれは、体験として神を知る過程です。
本当に、祈りって聞かれるんだ、と。
②全人格によって、 聖書(申命記 6:5 、マタイ 15:8-9、ローマ 12:1)
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
聖書(申命記 6:5)
これは、全人格を通して、あなたの全てを通して、人生の全てを通して愛しなさいという意味です。
8 『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
聖書(マタイ 15:8-9)
9 彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」
口先だけの礼拝ではいけないということです。
また、礼拝は日曜だけではないことにも注意。
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
聖書(ローマ 12:1)
皆さんの平日の過ごし方はどうでしょう?
③応答すること。 聖書(ヘブル 13:15-16)
15 それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
聖書(ヘブル 13:15-16)
16 善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。
礼拝は行動による応答が必要。
神への賛美のいけにえと、他の人に仕えること。
神から与えられた、身体を感謝して、神のために使うことも大きな意味では礼拝です。
仕事を通しても礼拝できます。
お金を捧げることでも礼拝できます。
神に向けて、形として表す、応答することが、礼拝です。
ちなみに、初代教会の礼拝はどうだったのでしょう?
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
聖書(使徒2:42)
神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
聖書(使徒2:47)
みことばを聞き、賛美、祈り、聖餐式。
パン裂き=聖餐式(キリストを覚える。)
これらは神への応答ですよね?
礼拝は何であるかと、礼拝スタイルは関係があるでしょうか?
例えば、いろんなタイプのメッセージがあります。
賛美のスタイルも、聖歌中心や、ヒルソングのような曲もあります。うるさい or 静か。
結論は、関係ありません。
→霊と真が基準。
- 1.スタイルまでは言及されていない。
- 1.しかし、ある程度、ターゲティングが必要。
- 2.日本の課題。
- 3.若者が教会にいない!
- 4.ノンクリがいない!2世ばっか!
- 5.宗教臭い。
- 2.SGCは、
- 1.若者。
- 2.ノンクリ。
- 3.宗教くさくない。
- 4.でも、ホンモノの臨在を感じる場所。
- 5.みことば、祈り、臨在。→神の国はことばではなく、力にある。
なぜ、礼拝するのか?
ノンクリスチャンに「なんで、礼拝するの?」って聞かれたら何と説明しますか?
①神を褒め称えるため
理由や説明はいらない。したいから。聖霊に満たされるとしたくなる。
「さあ 主の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき 私は喜んだ。
聖書(詩篇 122:1)
→神を礼拝することは、それ自体、喜びがある。
②霊的な力を受けるため
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。
聖書(イザヤ40:31)
クリスチャン用語で、満たし。
③新しい一週間へ備えるため
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
聖書(エペソ4:11-13)
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
→この世で奉仕するために、満たされ、整えられ、遣わされる。
SGCは礼拝が柱。
→疲れている人が、ここにきて、神を賛美し、力を受けて、社会に出て行く。
家で一人で礼拝しちゃダメなの?
- 神を褒め称えるため
- 霊的な力を受けるため
- 新しい一週間へ備えるため
この三つは、個人としてするのでなく、集団(からだ)としてすることが神の御心。
なぜなら、既に救われた者たちは、からだ(集団)の一部なのだから。
ラッパを吹き鳴らす者たち、歌い手たちが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。
聖書(2歴代誌 5:13)
天にまします我らの父よ。
私は真の礼拝をしているか?
判断基準
- 喜びがあるか?溢れてくるもの。神への愛。何かが欲しいからする礼拝は偶像礼拝。
- 満たしがあるか?疲れてるなら何かおかしい。
- 新しい一週間への備えができているか?
終わりに
- A.礼拝とは何か?
①神を正しく知り、(1コリント 12:3 、ヨハネ 4:23-24)
②全人格によって、(申命記 6:5 、マタイ 15:8-9、ローマ 12:1)
③応答すること。(ヘブル 13:15-16) - B.なぜ礼拝するのか?
①神を褒め称えるため
②霊的な力を受けるため
③新しい一週間へ備えるため - C.私は真の礼拝をしているか?
判断基準
- 喜びがあるか?溢れてくるもの。神への愛。何かが欲しいからする礼拝は偶像礼拝。
- 満たしがあるか?疲れてるなら何かおかしい。
- 新しい一週間への備えができているか?