6 それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。
聖書(出エジプト6:6-7)
7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。
はじめに
日曜日の教会の礼拝には、聖餐式というプログラムがあります。
小さなパンと小さなカップが、回ってきて、それらをいただくのです。
一つのパンをちぎって配布する教会もあれば、クラッカーみたいなものを配る教会もあります。
カップの中身は、ぶどうジュースが多いでしょう。
毎週行なっている教会もあれば、月に一回行う教会もあります。
この聖餐式の原点は、旧約聖書の過越の祭りにあります。
一ヶ月前に、聖餐式の意味①のメッセージをしました。
内容は、聖餐式のパンの意味です。
パンは十字架で釘を刺され、むち打たれたキリストのからだを意味していると学びました。
今日は、ぶどう酒の杯の意味です。
最初に結論をいうと、「聖餐式で飲む杯はイエス・キリストが十字架上で流された血を表しています」
「そんなこと知ってるわい」と思う人も多いでしょう。
今日は、聖餐式のもとである、最後の晩餐。最後の晩餐のもとである過越の祭りまで期限を遡って、この杯の深い意味を見ていきたいと思います。
聖餐式で使うもの
過越の祭りの食卓にはいろいろなものが並んでいます。
その中でも、大切なのが2つ。
一ヶ月前に取り上げた種無しパン(マッツァ)と、4つの杯です。
この杯には、通常ワインが注がれています。
この4杯は好きな時に飲んでいいと言うわけではなく、それぞれに意味と飲む順番が定められています。
大きく分けて、4杯の杯のうち2杯は食前に飲み、2杯は食後に飲みます。
まず、この4杯のワインの意味を説明します。
これら4つの杯は、先の出エジプト記6章6-7節のみことばに対応しています。
6 それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。
聖書(出エジプト6:6-7)
7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。
①一つ目の杯(感謝の杯)
わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。
「神様が、イスラエルの民をエジプトの支配から導き出してくださったこと」への感謝の杯です。
現代の過越の祭りでは、感謝を祈りしつつ、この1杯目は、残さずに飲み干します。
1杯目の杯は、そのことを忘れないように、感謝する一杯です。
②二つ目の杯(喜びの杯)
あなたがたを重い労働から救い出し、
「神様が、イスラエルの民をエジプトの奴隷の苦役から導き出してくださったこと」に対する喜びの杯です。
一杯目と似ていますが、こちらはもっと具体的な10個の災いを中心とした儀式があります。
次に、2つ目の杯にワインをみたし、杯に小指を入れます。
そして、1滴ずつ、「10の災いの名前を言いながら」順番に合計10滴を皿に落とします。
これは、イスラエルの民を奴隷から解放しないファラオに対し、神様が、10の災いをエジプトにもたらしたことを表します。
10の災いは、出エジプト記に記されています。
エジプトの10の災い
- 川の水が血に 聖書(出エジプト 7:14-24)
- かえる 聖書(出エジプト 8:1-15)
- ぶよ 聖書(出エジプト 8:16-19)
- あぶ 聖書(出エジプト 8:20-32)
- 家畜 聖書(出エジプト 9:1-7)
- 腫物 聖書(出エジプト 9:8-12)
- 雹 聖書(出エジプト 9:13-35)
- いなご 聖書(出エジプト 10:1-20)
- 暗闇 聖書(出エジプト 10:21-29)
- 初子の死 聖書(出エジプト 11:1-12:33)
最後の災の後に、奴隸となっていたイスラエルの民は、エジプトから解放されました。
なぜ、10滴を皿に分けるのか?
それは、これらのファラオの頑なな態度によって苦しんだエジプトの民のを覚えて2つ目の杯から十滴を取り除くことにより、「喜びの杯を飲む時に人の苦しみを喜んではいけない」 ということを教えています。
ここまでで何か感じることありませんか?
イスラエル民族は、この過越の祭りの儀式を毎年行うことで、子供たちに歴史を教え、聖書的な価値観を教育しているのです。
なので、イスラエル民族は、世界中に離散しても、民族としてのアイデンティティを持っています。
そのアイデンティティは、共通の土台。
旧約聖書です。
③三つ目の杯(贖いの杯)
伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う
「神様が、イスラエルの民を罪から贖いだす」ことを意味する贖いの杯です。
贖いとは、あまり使わない単語ですが、「罪や失敗を償う」という意味です。
これはイエス様の十字架による全人類の罪の贖いを表しています。
2000年前にすでに、イエス様は十字架にかかり死なれたので、出エジプトのこの3つめのみことばは成就しました。
しかし、ほとんどのイスラエル人は、これが十字架を表していることを知らずに、3杯目を飲み干します。
成就したのに、まだ受け入れていない状態です。
この三つ目の杯が、クリスチャンの聖餐式で飲む杯です
大切なので、次の2番目のポイントで詳しく説明します。
④四つ目の杯(聖別の杯)
あなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる
これは、聖別の杯です。
聖別とは、選び分けるということです。
この4杯目は成就していません。ほとんどのイスラエル人は、三位一体の神であるイエス様を神として認めていないからです。
ちなみに、イエス様は、最後の晩餐の時、4杯目は飲んでいません。
27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
聖書(マタイ26:27-29)
28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」
イエス様は、「多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です」と弟子たちと一緒に3杯目を飲まれてすぐに、「今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません」と言われました。
世の終わりに、イスラエル民族は、この過越しの祭りの4つの杯のうち、3杯目と4杯目の意味を悟り、受け入れるようになります。
それは、すなわち、
3杯目=イエスが2000年前に十字架上で血を流し、全人類を贖う新しい契約を結ばれていたこと。
4杯目=イスラエルがイエスをキリストと認め、本当の意味で、神を受け入れること。
4つの杯で聖餐式をする私たちにとって、一番大事なのは、3つ目の杯である贖いの杯です。
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。
聖書(ルカ22:20)
これは、私たちクリスチャンが教会の礼拝で行っている聖餐式の時に、牧師が読む聖書の箇所。
聖餐式で飲んでいるぶどうジュース入りのカップは、最後の晩餐でイエス様が飲まれた杯を表しています。
イエス様は、この過越の食事の後、ゲッセマネの園で血の汗を流して祈られます。
その時、十字架の苦難を「この杯」と言っているのに気づいていましたか?
それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」
聖書(マタイ 26:39)
「杯」という言葉に注目していくと、色々繋がっていきますね。
イエス様は、この杯はイエス様の血を表すと言いました。
どういうことでしょう?
これが掴めないと、聖餐式のカップを飲む時に心から感謝できません。
そもそも、なぜ、過越の祭りの杯がワインなのか?
それは、小羊の血を表しているからです。
出エジプトの10個目の災いは、エジプト中の初子(ういご)が殺されるということでした。
しかし、神の言葉通り、小羊の血を入口に塗ったイスラエル人の家だけは、その災いが過ぎ越したのです。
死ななかったのです。
5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
聖書(出エジプト12:6-7)
6 あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、
7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。
その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。
聖書(出エジプト12:13)
この傷のない子羊は、もちろん、イエス・キリストを表しています。
新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。
聖書(1コリント 5:7)
その十字架上で流された血によって、私たちの罪に対する災いは過ぎ越されました。
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
聖書(ローマ 5:9)
つまり、過越の災いは、全人類の罪の贖いを表す予表、あらわれ、雛形、モデル、預言だったのです。
私たちこそ、ファラオのように頑なで、神に逆らう罪の性質を持っている存在だということです。
しかし、どんなものでも、神のことばにしたがって、小羊のイエスの血によって、罪が贖われることを信じれば、救われます。
しかも、信じて、救われて終わりではありません。れから、世の終わりに、最終的には4杯目の杯をキリストと、イスラエル民族とともに、飲む日がきます。
その時に、イスラエル人も、異邦人である私たちも、ともにキリストを礼拝する神の国が完成するのです。
終わりに
ここまでの三つのポイントを一旦、まとめましょう。
「聖餐式で飲む杯はイエス・キリストが十字架上で流された血を表しています」
- A.過越の祭りではワインを4杯飲む
- B.3つ目の贖いの杯の意味 =イエスの十字架の血の贖い
- C.成就していない4つ目の杯
今は、一足先に、この奥義を知った私たちが、まずこの聖餐式を通して、キリストを覚え、礼拝して行きたいと思います。