44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
聖書(ルカ24:44-49)
45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
はじめに
先月は、教会の二つの大事な目的を取り上げました。
- ①神を愛し、隣人を愛するため。(①礼拝、⑤奉仕)
- ②神の国の拡大のため。(②宣教、③交わり、④教育)
二週間前からこの目標を達成するために教会がする5つの具体的な機能を見ています。
- ①礼拝
- ②宣教
- ③交わり
- ④教育
- ⑤奉仕
前回は、一番大切な礼拝について、改めて聖書から学びました。
今日は宣教についてです。
宣教ってなんでしょう?
一言で答えられますか?
教会の機能の中で、礼拝の次に大切なのが、この宣教です。
なぜか?
それは、誰かが、あなたに宣教しなければ、あなたは救われていなかったからです。
誰かが宣教しないと、教会に人が増えないのです。
なので、宣教というのは、教会の成長サイクルの中で、一番最初に必要なものなのです。
ただ、宣教と聞くと、「え、自分は宣教師じゃないし」とか、「自分は口下手だし、積極的な性格じゃないから」となぜか、消極的な反応をする人もいます。
しかし、もう一度言いますが、宣教しないと人は救われないので、教会でかなり大切です。
しかも、イエス様自身が、先ほどのマタイ28章で、大宣教命令を、全ての人に命じています。
つまり、全てのクリスチャンは、宣教することが命じられているのです。
ただ、なぜ、みんな消極的になるかというと、宣教が何か、わかっていないだけです。
今、一言で言えないなら、みなさんは言葉は使っているけど、聖書がいう宣教が何かわかっていないのです。
わかっていないものをどうやって行えるのでしょうか?
今日の記事を読めば、宣教とは何かを聖書から、一言で言えるようになります。
そして、あなたにもできるということがわかるようになります。
宣教とは何か?
聖書(ルカの24:44-49)を見ると、次のように要約できます。
宣教とは、
- ①イエス・キリストの証人として 聖書(ルカ24:48, 使徒1:8)
- ②遣わされ 聖書(ヨハネ20:21)
- ③神の国の福音を 聖書(マタイ 4:23)
- ④宣べ伝えること。 聖書(ルカ24:46-47)
イエス・キリストの証人として遣わされ、神の国の福音を宣べ伝えること。
①イエス・キリストの証人として
証人とは何か?
「聖書に書いていることを、実際に体験(目撃)した人」です。
弟子たちが目撃した事実とは?
46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
聖書(ルカ24:46-48)
47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
これらのことは、旧約聖書に書いていました。
それが、成就したんです。
成就したことを、弟子たちはその目で目撃したのです。
十字架にかかる姿も見たし、復活したイエス様にもあった。
まず、皆さんが、聖書に書いてあることを、体験するか、目撃しなければ、宣教はできません。
生まれつき、足が不自由で車椅子に載っていた人が、祈りによって立ち上がった。
悪霊に囚われている人が、祈りによって解放されて、その場で後ろ向きに倒れ込んだ。
祈りによって、その人の心のうちにあるものが明らかにされて驚いた。
これらの神のみわざを見たことがありますか?
これらは実際に起きており、私も映像や生で見たことがあります。
私の牧師の友人は、学生時代に、生まれつき持っていた病気が癒やされた経験をして神がいることを確信し、人生がガラリと変わって、今は牧師になっています。
これらは聖書に書いています。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
聖書(マルコ16:17-20)
18 その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」
19 主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
20 弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。〕
しかし、こんな奇跡的な体験を見たか、とか体験したかも大事ですが、それ以上に、キリストを信じるものは誰でも証人になることができます。
それは、あなたが信じて救われたという証しです。
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
聖書(ローマ10:9)
この言葉を信じた人は救われています。
あなたが救われていること自体が、神のみわざなんです。
他にも、聖書には、信じるものの中に聖霊がいること、聖霊の力によって内側の人格が変えられ、生き方が変わっていく。
程度の差があるものの、皆これらの変化は体験しているはずです。
体験していない人は、そもそも聖書を知らない可能性が高いです。
人は、聖書のみことばを信じて、信じた結果、神の力が現れて変わるからです。
また、ガーデンチャーチの皆さんは、とても恵まれています。
半年の間で5人の人が、イエス・キリストを信じ、洗礼を受けて、教会に通っているからです。
本人はあまり気づけないかもしれませんが、私が見ても明らかに、皆さん変わりました。
救われたばかりのみずきが、カフェで日本のリバイバルについて熱く語っている姿を、私は目撃したのです。
みずきが日本のリバイバルについて熱く語っていることと、聖書に書かれていることは繋がっていますか?
繋がっていますよ。
それは、信じた時に、みずきの内側に住われる聖霊がいることの証しだからです。
ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
聖書(1コリント12:3)
広島に行った真白ちゃんも、今、向こうの教会に通い始めていると連絡を受けました。
まず、自分が救われていることが、あなたの体験であり、あなた自身が証人なのです。
②遣わされ 聖書(ルカ24:48-49)
イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
聖書(ヨハネ20:21)
遣わされるとは何か?
宣教の主役は神様であるという意識があるかどうかです。
あなたが宣教したいからとか、誰かに強制されてするのではなく、神の宣教の思いを受け取って、この世に派遣されるのです。
遣わされるものには、聖霊の力が与えられます。
これは宣教に不可欠です。
見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
聖書(ルカ24:49)
③神の国の福音を
神の国の福音とはなんでしょう?
イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。
聖書(マタイ 4:23)
イエス様は、神の国の王、メシア(油注がれたもの)であることを伝えることです。
イエス様を受け入れるとは、イエス様を人生の主として、人生の王として生きることだから。
そのためには、十字架の死と復活を信じることが必要です。
④宣べ伝えること。 聖書(ルカ24:46-47)
宣べ伝えるとは何か?
宣教[原語ギリシャ語]ケーリュグマ=公な宣言
具体的には3番目のポイントでお話しします。
なぜ、宣教するのか?
①神が人々を愛しておられるから
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
聖書(ヨハネ3:16)
②神が人々に福音を伝えるよう命じておられるから
19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
聖書(マタイ28:19-20)
20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
その命令には責任と特権が伴います。
責任
わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
聖書(エゼキエル3:18)
というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。
聖書(1コリント9:16)
13「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
聖書(ローマ10:13-14)
14 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
特権
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
聖書(2コリント5:18)
韓国のサラン教会の創立者の玉漢鉄(オクハンフン) 牧師はこのように言っています。
エルサレム教会の使徒たちは、自分たちが見聞きしたイエス・キリストの復活の出来事を語らずにはいられないと告白しています。
彼らは心の底から込みあげてくる感動を抑えることができない人たちでした。
彼らに比べると、私たちの心は冷め切っており、人への恐れで縛られているのではないかと、心配になることがしばしばあります。
伝道は、救われた神様の子どもなら、誇らしく、喜んで実践すべき 生き方そのものです。イエス・キリストを誇り、宣べ伝え、人を神様に導くことほど、尊く美しいものはありません。
伝道をする生活 は、私たちの信仰状態と深い関係を持っています。 喜んで伝道に励んでいる時は、その人の信仰はすばらしい状態だと言えますが、そうでなければ、その人の信仰は病気にかかっていると言っても過言ではないでしょう。
私たちは、宣教をすることに対して喜びがあるでしょうか?責任と特権を感じているでしょうか?
あなたの状態はどうでしょうか?
どうやって宣教するのか?(方法) 聖書(ルカ24:49)
聖霊の力により、言葉と生き方を通して、他に人に宣言することです。
言葉
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
聖書(2テモテ4:2)
生き方
神の国は、ことばではなく力にあるのです。
聖書(1コリント 4:20)
言葉は、聖書に書いていることをそのまま伝えればOKです。
あなたのアドリブはむしろいらないかもしれません。
生き方は、聖霊の働き、聖霊の実が結ばれていくので、あなたが素晴らしい生き方をしていることよりも、罪深くどうしようもない私が、聖書の真理と聖霊の力によって、神様が喜ばれる実を結んでいることが大事です。
つまり、誰でもできることなのです。
問題は、あなたが、神を信じて、やるかやらないかだけです。
伝えるか、伝えないかだけです。
宣教とは、イエス・キリストの証人として遣わされ、神の国の福音を宣べ伝えることです。
あなたが救われているなら、あなたはすでに証人です。
あなたが救われているなら、聖霊がいるので、すでに遣わされています。
あなたは神の国の福音を知っています。
あとは?
あなたが宣べ伝えるだけです。
終わりに
イエス・キリストの証人として遣わされ、神の国の福音を宣べ伝えること。
あなたは、
- ①証人ですか?聖書を知っていますか?それを体験していますか?
- ②派遣意識はありますか?あなたが宣教する理由はなんですか?宣教のモチベーションは神の愛と宣教の思いです。
- ③何を伝えますか?神の国の福音が何かわかっていますか?
- ④宣べ伝えていますか?言葉と生き方が一致してますか?公に宣言していますか?隠れてませんか?
宣教する理由を見てきました。
私たちは、宣教をすることに対して神に愛を感じ、喜びを持っているでしょうか?責任と特権を感じているでしょうか?
あなたが誰かに福音を教えてもらって救われたように、今度はあなたが誰かに、福音を宣教するのです。