自己否定の2つのかたち①反抗「なぜ、サウルはダビデを殺したかったのか?」聖書(1サムエル 18:7-8)

20210919
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5 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行き、勝利を収めた。サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての兵たちにも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
6 皆が戻り、ダビデがあのペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、女たちは、イスラエルのすべての町から、タンバリンや三弦の琴をもって、喜びつつ、歌い踊りながら出て来て、サウル王を迎えた。
7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」

聖書(1サムエル 18:7-8)

はじめに

あなたの周りに、「この人って怒るタイミングわかんないんだよなあ」とか「いつもイライラしてるから気使うんだよなあ」という人いませんか?
逆に「私はダメなやつだ」「なんでいつもこうなんだろう」といつも否定的にぐちぐち言っている人いませんか?

両方のタイプの残念な結末は、「一緒にいると疲れるので人が離れていく」ということです。

実は、両方とも「自分ってダメだなあ」という自己否定が原因です。

ありのままの自分を認めずに、否定ばかりしている人は、周りの人も自分を否定していると錯覚する傾向があります。
そして、冒頭の2つの反応に分かれるのです。

「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗するタイプ。
「どうせ私は何もできないんだ。価値なんてないんだ」と悲観するタイプ。

通常は、どちらかの性質が強いが、両方を併せ持つハイブリッドタイプが多いようです。

問題は、他の人から見て、みなさんが「自己否定」をしている場合です。

今日は、聖書に出てくる「反抗タイプ」サウルの例から、聖書が自己否定についてなんと言っているかについて見てきましょう。

他人の成功を見て妬んだサウル

今日の箇所の背景は、ダビデがエラの谷で宿敵ペリシテを破った後、ダビデが兵士たちとともにイスラエルに帰って来た出来事です。

5 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行き、勝利を収めた。サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての兵たちにも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
6 皆が戻り、ダビデがあのペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、女たちは、イスラエルのすべての町から、タンバリンや三弦の琴をもって、喜びつつ、歌い踊りながら出て来て、サウル王を迎えた。

聖書(1サムエル 18:5-6)

ダビデは詩篇を描いた芸術的な一面も持っていますが、彼がどうやってイスラエルで頭角を表したかと言うと、「百戦錬磨の戦士」です。

彼は、ペリシテ人の巨人ゴリヤテを石ころ一つで倒し、当時のイスラエルの王であるサウルに認められ、戦士長に任命されていたのです。

その後のダビデの戦績は、圧倒的な勝利に次ぐ、勝利。
ダビデは行く先々で輝かしい手柄を立てます。

そして、今回も、民はペリシテとの戦いに勝利して帰って来るダビデを、英雄として迎え入れたのです。

7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」

聖書(1サムエル 18:7)

ところが、この歌を聞いたサウルの心は穏やかではなくなります。

8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」

聖書(1サムエル 18:8)

まあ、この歌自体が、ちょっと、サウルへの配慮にかけますよね。
現役の王と比較して、ダビデをたたえているのですから。

しかし、この歌には意味があったのです。

それは、神が、サウルの心の底に潜んでいるものを、明らかにしていると言うことです。
サウルは、ダビデの存在のせいで自分が否定されていると感じていたのです。

私たちも、人生にも、困難や嫌なことって起こりますよね。

私たちが落ち込むときってどういう時でしょうか?

誰かと比較して、自分が優れていないと感じた時ではないでしょうか?

ある調査によると多くの人が「SNS疲れ」を感じているようです。
SNSに関する調査で「SNS疲れの経験がある」と答えたのは、全体の42.7%。最も高かったのは20代の女性で、なんと65.0%にも及んでいます。

誰かの「リア充な姿」を見ると、退屈で仕事、ゲームばかりしている自分が惨めになる。
誰かが海外旅行に行っている写真をみると、そんなお金ない自分を見て落ち込む。
誰かが彼氏、彼女、結婚生活の写真を載せていると、自分のは将来結婚できるのか?家族を持てるのかと不安になる。

とりあえず、「いいね」をおす。でも、心では何かやるせない気持ちになる。

でも、考えて見たいのです。

リア充な写真を載せているあなたの友達が悪いのでしょうか?

そんなことはないですよね。

その写真を見た、あなたの心が反応しているだけなのです。

もちろん、SNSをやめる、スマホに触らない。そのような対策も良いでしょう。

しかし、大切なのは、誰かが喜んでいる時、褒められている時、成功しているとき、比較して落ち込んだり、ムカついたりせず、一緒に喜べる人になる方がずっと、幸せな人生ではないでしょうか?

聖書にこのような箇所があります。

喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。

聖書(ローマ 12:15)

この箇所はとても深いです。

実際は、私たちは喜んでいる人がいると、泣いて。
泣いている人がいると喜ぶからです。

「他人の不幸は蜜の味」という諺がありますが、実はこれは科学的に証明済みです。

ハーバード大学のエルゾ・ラットマー教授(経済学)も2005年に論文でこう述べています。

「隣人達の収入が上がることは、自分の収入が減ることと同じ程度の不幸をもたらす」

あなたは、収入が上がって、喜んでいる人と一緒に、まるで自分の収入が上がっているかのように喜べるでしょうか?
誰かが結婚した時、子供が産まれた時、就職した時、成功した時、SNSがバズった時、自分のことのように一日幸せになれるでしょうか?

今日のサウルに話を戻すと、つまり、誰もがサウルのようになる「可能性」を持っているということなのです。

自己否定に陥ったサウル

サウルは成功し、人望を集めるダビデに対するねたみが生じ始めます。
やがて、憎しみとねたみからダビデのいのちを狙うようにまでなりました。

この後のサウルの人生は悲惨です。10年以上も、逃げ惑うダビデを殺すことに人生を費やすのです。

では、今日のメッセージの適用は、「人の成功を妬まずに喜びましょう」と終わるかと言われれば、NOです。

私たちが今日のメッセージを適用するには、サウルの内側の根本的な原因を見なくてはいけないのです。

それは、彼の「自己否定」です。

元々彼は自分に自信がなく自己否定をしている傾向があったことが聖書を読めばわかります。

サウルが王として選ばれる時、彼は隠れました。

人々はさらに、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。主は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。

聖書(1サムエル 10:22)

人の目を恐れて隠れることは謙遜なのでしょうか?
神が「あなたを王として選んだ」と言われれば、そのことをすんなり受け入れ、喜んで王として民に仕えることもまた謙遜な姿なのです。

サウルに必要だったのは、弱さを持ったありのままの自分を神の前で受け入れることです。
彼は多くの失敗をしますが、その都度、ダビデのようにすぐに神に謝り、再スタートを切ればよかったのです。

私たちに怒りや不機嫌になる癖があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。

それが、今日のメッセージです。

サウルは、成功するダビデが自分を否定しているように感じているのです。

「サウルは千を打った」これだけみると、すごいことです。

千人を一人で倒すなんて素晴らしい王です。

でも、問題は、ダビデが万を打ったからです。

ダビデが百を打った、サウルは千を打った。なら、サウルは千人という言葉を喜んで受け入れたのです。

成功し、褒め称えられるダビデをみて、彼は

「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗しているのです。

だから、人の成功や賞賛を喜べない人は、自分が否定されているように感じているのです。

SNSを見て、幸せそうな人がいると、幸せとは思えない自分の人生が否定されているように、自分で思っているから、気持ちが落ち込むんです。

では、どうすれば良いのでしょうか?

「自己を否定することをやめる」ことです。

反応しないように、SNSをやめる、リア充の友達と関わらない。
それらは、応急処置です。

でも、根本的な問題は解決されません。

根本的な解決は、「自己を否定することをやめる」ことです。

神はあなたを否定しているのでしょうか?
その成功者はあなたを否定しているのでしょうか?
周りの人はあなたを否定しているのでしょうか?

他でもない、あなたがあなたを否定しているのです。

一方、同じ状況でも全く違う反応をする人がいました。
それは、サウルの息子、ヨナタンです。

王子です。

3 ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。
4 ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。

聖書(1サムエル18:3-4)

自分の上着を与えます。上着は、上流階級の人が自分の身分を表すために着用するものでした。
ダビデが王子の服を与えられたということは、神がダビデに王子の身分を与え、後にイスラエルの王として立てられるということの暗示でもありました。

彼は、ダビデを愛していたのです。

どうのように?
「自分自身のように」

これがキーワードですね。

ヨナタンは父サウルと違って、自分を否定せずに、自分を肯定し愛していたので、活躍する人をも愛し、尊敬することができたのです。

もし、サウルも自分を否定せずに愛していれば、ダビデをも愛し尊敬していけたでしょう。

事実、ダビデの活躍は、サウルにとってマイナスではなく、大きなプラスだったのです。

サウルは、ダビデという最高の戦士長を得た王なのです。

信頼のできる部下が命をかけて、サウルと国を守ってくれるのです。
こんな祝福された王がどこにいるでしょうか?

サウルにとってダビデは、神が与えてくださった最高の部下だったのです。

終わりに

周りの人の言動で、怒りや不機嫌になる癖があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。

SNSや周りに、幸せそうな人がいると、「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と幸せとは思えない自分の人生が否定されているように、自分で思っているから、気持ちが落ち込むんです。

「自己を否定することをやめ」ましょう。

そして、成功する人や幸せに見える人を脅威とせずに、神があなたに祝福を与えるために近くにおいた大切な人として、愛して尊敬しましょう。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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