1 アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。
聖書(1列王記 19:1-8)
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
はじめに
あなたの周りに、「この人って怒るタイミングわかんないんだよなあ」とか「いつもイライラしてるから気使うんだよなあ」という人いませんか?
逆に「私はダメなやつだ」「なんでいつもこうなんだろう」といつも否定的にぐちぐち言っている人いませんか?
両方のタイプの残念な結末は、「一緒にいると疲れるので人が離れていく」ということです。
実は、両方とも「自分ってダメだなあ」という自己否定が原因です。
ありのままの自分を認めずに、否定ばかりしている人は、周りの人も自分を否定していると錯覚する傾向があります。
そして、冒頭の2つの反応に分かれるのです。
「俺はダメじゃない。これ以上、俺を否定するな!」と反抗するタイプ。
「どうせ私は何もできないんだ。価値なんてないんだ」と悲観するタイプ。
通常は、どちらかの性質が強いが、両方を併せ持つハイブリッドタイプが多いようです。
問題は、他の人から見て、みなさんが「自己否定」をしている場合です。
今日は、聖書に出てくる「悲観タイプ」はエリヤの例から、聖書が自己否定についてなんと言っているかについて見てきましょう。
悲観し絶望したエリヤ
今日の箇所の背景は、この直前の18章です。
預言者エリヤは、カルメル山でバアルとアシェラの預言者850人をに対して、大勝利を治めたのです。
エリヤの信仰で、天から火が降るという偉大な勝利です。
その他にも、エリヤは死んだ子を生き返らせることもしていました。
しかし、そのような強い信仰と、実行力をもったエリヤでしたが、今日の箇所で「悲観し」逃げます。
当時のイスラエルは、王アハブの妻イゼベルが実権を握っていました。
そのイゼベルは、バアル崇拝者だったので、その預言者を倒したエリヤを殺そうと立ち上がったのです。
1 アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。
聖書(1列王記 19:1-2)
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
この後のストーリーは、普通どう予想されますか?
天から火が降らせた偉大な預言者ですよ。死んだ子を生き返らせる力を持っているんですよ。
そりゃ、「神は生きておられる。私はイゼベルを恐れない。主は明日、彼女の命を私の手に渡されるであろう」と動じない信仰を期待するのではないでしょうか?
では、聖書を見てみましょう。
3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
聖書(1列王記 19:3-4)
4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
これが答えです。これが現実です。
エリヤは、イゼベルが自分の命を狙っていることを知った瞬間、「自分のいのち」を救うために、荒野に逃げたのです。
しかも、えにしだの木の陰で死を願います。
「死んだ方がましだ」というフレーズから、これは彼が「うつ状態」に陥っていることを表しています。
カルメル山で神の奇跡をともなう大勝利があったのにもかかわらず、なぜかイスラエルの女王イゼベルに命を狙われることになったからです。
自分が期待した結果にならず、深く落胆し、挫折感でいっぱいになりました。
まず、覚えたいことは、聖書に出てくる人はみんな特別な超人なわけではありません。
奇蹟を行ったの は神の力であり、そもそもエリヤの力ではありませんでした。
預言者であっても、神の力を信じられず、状況に恐れた時、逃げるしかなかったのです。
私たちの人生でも同じことが起こります。
とても嬉しいことや、成功を感じたと思ったら、すぐに落ち込んで、「俺はだめだ。死んだ方がいい」と思っていまう。
人から、99回褒められても、たった1回の嫌な言葉で、ひどく落ち込む。
これは、科学的に証明されているそうです。
人生で嫌なことが起きた時、落ち込んだ時、人生が真っ暗に感じます。
でも、今までの人生を冷静に振り返ると、確かに、いいこともあった。成功もあった。楽しいこともあった。褒められたこともあった。
落ち込んでいる現状の中にいると、それらのことがまるで嘘だった、いや、全く思い出しことができないくらい、ネガティブなことに飲み込まれているように感じるのです。
でも、考えてみたいのです。
同じ状況でも、あまり落ち込まない人もいます。
落ち込んでも、回復が早い人もいます。
何が違うのでしょうか?
その根本的な違いは、「自分を否定しているかどうか」なのです。
あなたは誰にも否定されていない
もう少し、エリヤの言葉に注目してみましょう。
4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
聖書(1列王記 19:4)
「私は父祖たちにまさっていませんから」という言葉に注目しましょう。
父祖たちとは、エリヤの前の時代に生きていたアブラハムでしょうか?ダビデでしょうか?
誰かは書かれていませんが、誰であれ、エリヤは他の人と自分を比較して落ち込んでいると言うことなのです。
「俺は預言者としてダメなんだ」
なぜ、そう思うのか?
「アブラハムのような信仰はないし、ダビデのように勇敢でもない」
ここにあるのは比較意識です。
人と比較するときに、私たちは落ち込みます。
逆に、アブラハムは妻を2回妹と偽って外国の王に売るという、鬼畜な失敗をしていました。
アブラハムがエリヤの活躍を見たら、「わしはエリヤみたいな信仰はないのう…」と落ち込むかもしれないんです。
ダビデは、不倫と殺人を犯して、十戒の半分を破った、ある意味では超やばい男です。
ダビデから見れば大きな罪を犯していたわけでもないエリヤは「やっぱり預言者は違うなあ、俺なんてさ…」と落ち込むかもしれないんです
私たちも、エリヤのように心身ともに疲れて「もう俺はダメだ」と諦めたくなる時があります。
自分の状況と誰かを比較する時にそれは怒るのです。
周りの活躍しているっぽい人を見て「俺は結局ダメなんだ」と悲観してしまうのです。
他人と比べている以上、その「悲観」は自己否定です。
皆さんも、他人と比較して、落ち込めば、やがてはうつ病になります。
ここにも、同じ経験をしている人もいるのではないでしょうか?
でも大丈夫です。
聖書には乗り越えるヒントが書かれています。
この悲観しているうつ状態のエリヤに対する神様の対応に「悲観」を乗り越えるヒントが隠されているのです。
5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
聖書(1列王記 19:5-6)
6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
驚きません?
自分で聖書を読んでいると、すっと読み飛ばしがちですが、ここですごいことが起きています。
神様は、エリヤをまったく責めてはいないということです。
比較もしていません。むしろ、ゆっくり休みなさいと優しい言葉を言っているのです。
皆さん、今日、聖書の真理に立って、考えてみましょう。
誰があなたを否定しているのでしょうか?
他でもない「あなた自身です」
誰かに否定的な言葉をかけられて落ち込むこともあるでしょう。
でも、神様はあなたを否定しているでしょうか?
少なくても、あなたを愛しておられる神はあなたを否定してません。
誰かと比べることもありません。
神様はエリヤを養い続けます。
7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
聖書(1列王記 19:7)
いいですが、聖書の神は、私たちの信じている神は、「人生はまだ長いよ。よく食べて、よく寝て、ゆっくり行こう」と言われるお方なのです。
聖書を読む上でもっと大切なことは、人生を変える秘訣は、神がどのような方であるかを知ることです。
自己啓発を通して、心理学を通して人間をいくら知っても、問題や傾向を知るだけで解決はありません。
しかし、神を知るなら、あなたを造り、全ての人間や創造物、原理原則、支配の上におられる方の助けを得ることができるのです。
今日の箇所で、知ることのできる神はどう言う方でしたか?
人と比べ、落ち込むあなたを、勇気づけ、励ましてくれる方。
それだけではなく、実際に、心身の健康のために必要な食事を準備してくれる方です。
8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
聖書(1列王記 19:8)
エリヤは、食べて、寝て、飲んだのです。
神はあなたに睡眠と、食事を整え、回復されるのです。
その後、エリヤは、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに行きます。
これは何を意味しますか?
もう一度、神の元に近づいていくと言うことです。
終わりに
もし、私たちに悲観してしまう傾向があるなら、自分を否定していないか確かめてみましょう。
誰があなたを否定しているのでしょうか?
他でもない「あなた自身である」と言うことに気づいてください。
また、大事なことは神様はあなたを否定しておられないと言うことです。
落ち込んでいるあなたも、悲観しているあなたも、食欲もなく鬱状態のあなたも、否定しません。
むしろ、あなたを、勇気づけ、励ましてくれる方。
それだけではなく、実際に、心身の健康のために必要な食事を準備してくれる方です。
もし、今、人生で疲れ、落ち込み、自分を責めたり、落ち込んだりしている方がいるなら、神に立ち返りましょう。
神はあなたを休ませてくださいます。
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
聖書(マタイ11:28)
【祈り】
神様、あなたは私を否定しておられず、「ゆっくりでいいよ」と気遣ってくれることを感謝します。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。