苦難の目的②キリストと共に◯ぬため「お前はもう死んでいる」聖書(ピリピ 3:8-12)

20220206
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8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、
9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。
10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

聖書(ピリピ 3:8-12)

はじめに

みなさんは死ぬのが怖いですか?

平成26年厚生労働省の調査によると、大体半分の人が、「死ぬのがとてもこわい」と答えたようです。

怖くないって人は、おそらく、実感が湧かないのではないかと思います。
死んでみないと、その先はわからないからです。

ただ、一つだけ確かなことは、人生の最終地点は死です。
死なない人はいません。

今日の箇所を見ると、パウロはやばいことを言っています。

それは、「死にたい」という願望です。

え?自殺願望?

そうではありません。

なぜ、パウロは死を求めたのか?
それは、死の後には復活があるから。

クリスチャンにとって死は最終地点ではなく、通過点です。
死んだ後に「復活があるから」です。

そして、私たちの信仰生活には、この復活の力が不可欠だからです。

サンドウィッチマンなら「ちょっと、意味わかんないです」って言いそうですが、これから丁寧に説明していきます。

このことがわかると、人生の苦難の目的もわかるようになります。

パウロの3つの求め

今日の箇所を整理すると、パウロは3つのことを求めていることがわかります。

  • ①キリストとその復活の力を体験する
  • ②キリストの死と同じ状態になる
  • ③キリストの苦しみを通る

①キリストとその復活の力を体験する

10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、

聖書(ピリピ 3:10)

「キリストとその復活の力を知り」の「知る」のギリシャ語はギノスコーと言って、単に知識的に知ることではなく、生活の中で人格的に知ることを意味します。
すなわち、これは「復活の力」を頭で知る段階ではなく、実際に体験する段階です。

皆さんは、復活の力を体験していますか?
復活の力とは、罪に支配されずに、新しい歩みをすることです。

この中に、復活の力を体験してないんじゃないか?と不安になった人がいると思います。
その人は、次のポイントが原因かもしれません。

②キリストの死と同じ状態になる

10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、

聖書(ピリピ 3:10)

しかし、復活の力を体験するには、絶対条件があります。
それは、まずあなたは死なないといけないということです。

復活の力を体験してない人は、死にきれていないのかもしれないということです。

ここでの死ぬとは、寿命で死ぬとか、命を落とすということではもちろんありません。

「古い罪人の自分が死んで顔を出さない」という意味です。

私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。

聖書(ローマ6:6)

罪を犯してしまう性質が死ぬ。そして、罪に縛られる、コントロールされ、苦しむことがなくなる状態です。

そんな生活、いいですよね。
結局、私たちが一番苦しむのは、罪の悪習慣に縛られ、コントロールされることです。

クリスチャンであってもそうです。

悪習慣を続けてしまう。
人を傷つけたり、悪いことをしたり、言ったりししてしまう。
それにより、罪悪感を感じて苦しむ。

怠惰な自分。なんで自分はこんなにダメなのか。
自分を責めてしまう。罪責感に苦しめられる

人から傷つけられた心の傷がいつまで癒えなくて、怒りや悲しさで心が落ち込む。
絶望で死にたくなる。
人を愛せない。ゆるせない。

これらは、全部、あなたの外側の状況からくるものではありません。

最初は外側からの影響があったかもしれませんが、今あなたが苦しんでいるのは、あなたの内側の問題です。
あなたがそれを外に追い出せずに、心の中に入れているからです。

これらは全部、罪からくるものです。

天国では罪はありません。

天国で、罪悪感や罪責感を感じることはないでしょう。
傷つけられて苦しむこともないでしょう。

つまり、「罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなる」状態が「死んでいる」状況です。

そして、この古いからだが死ぬためには、キリストの十字架が必要です。

私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。

聖書(ローマ6:6)

2000年前にキリストが十字架につけられたとき、あなたはいましたか?
いません。
生まれてません。

しかし、キリストの十字架は、2000年後に生まれるあなたの「古い人」罪も一緒に、はりつけられたのです。

キリストの救いを受け取っている人は、このことを信仰によって、信じています。

あなたは、キリストの福音によれば、2000年前に「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた」のです。

それを信じているので、あなたの罪は赦されているのです。

これが、10節の「キリストの死と同じ状態になり」という意味です。

10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、

聖書(ピリピ 3:10)

しかし、(ここが重要です)キリストの死と同じ状態になるためには、

③キリストの苦しみを通る

10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、

聖書(ピリピ 3:10)

必要があるのです!やっとここまで来ました。

本当の順番は、こうです。

  • ③キリストの苦しみを通る
  • ②キリストの死と同じ状態になる
  • ①キリストとその復活の力を体験する

だから、苦難は不可欠です。

苦難がないと古い自分は死なないからです。

なので、苦難の目的は死ぬことなのです。

だから、そもそも、神があなたに許した苦難に対しては、乗り越えようとか、逃げようとか、小細工は要りません。

ジタバタ言わずに、死ぬんです。

ドナドナです。

でも、私たちはバタバタするんですね。
痛いし、嫌だから。

そして、大切なことは、苦難によって、古い自分が死んでいく過程は、1日では無理です。

よく、なんで、クリスチャンになったのに、古い自分が死なないんですか?と質問される方がいます。
確かに、疑問ですよね。

なんで、クリスチャンになって、信仰によって古い自分が死んだはずなのに、古い自分が顔を出す。
「よろしくニキー」

しかし、ここで諦めてしまうクリスチャンが多いんです。
「どうせ、無理だろ」「まあ、折り合いつけていこう」
ひどい場合は、「自分は救われてなかったんだ」という土台まで揺らぐクリスチャンがいます。

この疑問に対する答えは、「死ぬには時間がかかる」ということです。

イエス様でさえ、十字架で6時間、苦しんで死にました。
でも、一般的な十字架系より、死ぬのが早かった。

なぜ?十字架にかかる前から鞭打たれ、苦しんでいたから。

でも、6時間。
長いですよね。苦しいです。

キリストでさえ6時間かかったなら、私たちはどうでしょう?

キリスト並にすごい苦難を通って、謙遜にさせられる人もたまにいます。
聖書のヨブとか。

普通は、じわじわ苦難を通って、死んでいくんです。

でも、苦しい時に、「十字架から降りてしまう誘惑」が私たちにあるんです。

降りちゃダメです。

降りたら、死にません。

苦難を通って十字架で死なれたイエス様が一番の模範ですが、パウロの歩みとかれの言葉に注目すると、彼の苦難を通して古い罪の自分に死んでいったことがわかります。

パウロは最初、自分を選びの器、使徒と呼びました。
しかし、晩年は自分は罪人の頭と言いました。

しかし、 主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

聖書(使徒 9:15)

ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。

聖書(ガラテヤ2:8)

それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。

聖書(2テサロニケ 3:9)

私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。

聖書(コロサイ 1:25)

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。

聖書(エペソ 3:1)

すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、

聖書(エペソ 3:8)

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

聖書(1テモテ 1:15)

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

聖書(2テモテ 4:6)

彼がどういう苦難を受けたかは他の箇所にたっぷり書いてます。

23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。
24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、
27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。
28 ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、 日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。

聖書(2コリント 11:23-28)

パウロの手紙は新約聖書の半分もありますが、それは、彼が正論を言っているからではなく、こいういう苦難を通して、キリストの福音、つまり、死と復活を頭ではなく、口先の言葉だけではなく、体験したから、彼の言葉には説得力があるのです。

しかし、一つ注意したいことが、「霊的自殺の危険性」です。

10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、

聖書(ピリピ 3:10)

「キリストの苦難」です。

キリストがあなたに与える苦難でなければ、間違って自殺します。

自分で頑張って死のうとしなくて大丈夫です。

キリストと共に、十字架にかかる苦しみ。
それは、キリストがあなたに与える苦難の試練があります。

終わりに

パウロは3つのことを求めました。

  • ①キリストとその復活の力を体験する
  • ②キリストの死と同じ状態になる
  • ③キリストの苦しみを通る

本当の順番は、こうです。

  • ③キリストの苦しみを通る
  • ②キリストの死と同じ状態になる
  • ①キリストとその復活の力を体験する

今、苦しみを通っている人は、古い自分が死ぬプロセスを通っていることを知ってください。
大丈夫です。
あなたが通っている苦しみには意味があるんです。神の最善の目的があるんです。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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