あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
聖書(1ペテロ4:15)
はじめに
イソップ寓話の「オオカミ少年」って知ってますよね?
「オオカミが来た」と嘘を吐き周りに迷惑を掛けていた羊飼いの少年が、いざ本当にオオカミが来た時に「オオカミが来た」と言っても誰にも信じてもらえず、羊を食べられてしまう話です。
この話で、悪いのは誰でしょうか?
オオカミには罪がないとして、嘘をついていた少年?それとも、信じなかった村人?
これは、どう考えても、嘘をついていた少年ですよね。
教訓としては、嘘などで人の信用を損ねていると、本当に困った苦難の時に、誰も助けてくれなくなるということ。
単純明快、因果応報です。
身から出た錆ともいますね。
聖書でも、自分の過ちで起きた苦難、オオカミ少年でいえば誰も助けてくれないでオオカミに食べられたことは、あなたの責任だと言っています。
あなたの責任で起こる苦難
先週まで、苦難のポジティブな理由を3つみてきました。
しかし、聖書を見ると、通るべき苦難と、通るべきではない苦難があるのです。
私たちが通らなくてもよい苦難は、オオカミ少年が被った苦難のように、「自分の過ちからくる苦難」です。
誰かに無視されたとします。
もし、あなたが、何も悪いことをしていないのに、誰かに無視されたなら、無視した相手が悪いです。
もし、あなたがクリスチャンと言うことで、誰かに無視されたなら、それはキリスト者が通るキリストの苦難です。
そういった場合は喜びなさいと聖書は言います。
でも、あなたが誰かを殴って、その結果、相手が怒って無視している場合、悪いのはあなたです。
ぶん殴っておいて、「おお主よ。私は無視されています。この苦難を乗り越えられますように」と言ってたら、私はそのクリスチャンに、「殴ったあなたが悪いです」と言います。
あなたの、失敗や過ちで起きた苦難は、喜ぶ必要もなく、通る必要もありません。
すぐに悔い改めるべきです。
では、具体的にどのような失敗や過ちか?
聖書に書いています。
あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
聖書(1ペテロ4:15)
「人殺し、盗人、危害を加える者」これらはなんとなくわかりますね。
人殺しと盗人、危害を加えて合う苦難は、犯罪に対する処罰です。
その場合は、刑務所に行って、反省するための罰という苦難を通ります。
重要なのは、「他人のことに干渉する者」です。
これをするクリスチャンは多いです。
原語の意味は「人の仲を裂く人」「おせっかい者」「密告者」の意味だそうです。
今日は、この3つを重点的に見ていきます。
知らず知らず「他人のことに干渉する者」になってトラブルを引き起こしている可能性があるので、自分は大丈夫か、吟味していきましょう。
他人のことに干渉する者とは?
①人の仲を裂く人
=第三者を巻き込んで、関係を悪くさせる人僕も受けますね。SNSに他の人が見たら、誤解を生むように悪意を持ってコメントする人はいます。
そのコメントを見る人と、僕の関係が悪くなるように狙っている人がいます。
まあ、実際、それが事実なら名誉毀損。嘘なら侮辱罪になるそうです。
僕が一番ショックなのは、それがクリスチャンからのコメントだった時です。
誰かを落としたり、誰かと仲を悪化させることで、自分の立場を守りたい人や、ストレスを発散したい人はいます。
でも、考えたいことは、私たちもしちゃうことがあるということです。
誰かの評判が下がるような、ちょっとした嘘を話してしまう。
無意識に、とか。面白くするために、とか。
また、相手を持ち上げるために、誰かの良くないことを告げる。噂話を流す。
反省したのが、僕も無意識にやってしまっていて、妻に注意されました。
話している人に嫌われないように、「~~さんはできないけど、あなたはできるよね」と言ってしまったんです。
関係のない人の話をするべきではないし、関係のない人と、相手との関係に、僕が無駄に干渉してますよね。
自分が正義でやってることも注意が必要です。
教会は「~するべき」「~しないべき」と正義を振り回して、教会が分裂する。
最近は、コロナの対策で教会が分裂するなんてこともあったそうです。
自分の主張をいうことは悪くありません。
でも、それが原因で、クリスチャン同士が喧嘩するのは、おかしいですよね。
聖書は違う意見や価値観の相手との一致を重要視していますので、もし、意見の衝突で関係が悪くなったら、サタンの策略です。
意見の違う相手を尊重し、共存することは可能です。
「~さんはそう思うんだ」「~さんはそう感じるんだ」と相手を理解しつつも、共同体として何を大切にしているか?を考えるのが大事です。
一致を守るために、自分が変わるべきところは何か?
実はその時に大切なのは、リーダーです。
リーダーが共同体として「ここを軸にする」と決断することで、一致するべき軸が定まります。
なので、聖書は指導者に従うことを大事にしています。
それは、3人以上のグループが、一致を生むための神様のやり方です。
②おせっかい者
=対人関係の距離感が近い人良かれと思って、相手が嫌がる部分に、入って行くのは、お節介です。
おせっかいの人が被る苦難は、「相手に嫌われる」です。
知らない間に、相手はおせっかいの人から離れて、距離を置きます。
なぜか?
おせっかいの人は、距離が近いことがわからないし、相手の話を聞かない場合が多いからです。
なぜなら、良かれと思っているので、本人はいたって真面目であり、自分が悪いことをしているとは思わないからです。
相手の気持ちを感じやすい繊細さんは、多分大丈夫ですが、お節介にならない秘訣は、相手に聞くことです。
相手が嫌がったら、それ以上は踏み込まない。
相手が嫌がっていることすらわからない人もいますが、その場合は、繊細さんに聞いてみるといいです。
「~~しようと思っているけど、あの人は嫌がるかな?」
重要なのは、おせっかいと感じる距離感は人によって違うということ。
ある人にとっては、距離感が遠いと寂しいと感じ、ある人は同じ距離感でもうざいと感じられます。
外国に行けば、文化によって、距離感は変わります。
日本と韓国は違います。中国も変わります。
アメリカも違いますね。
また、おせっかいの人は、世話好きで、愛情深い人も多いです。
でも、愛は相手が嫌がると、自己満足の偽善になります。
相手に良いことをして、「なんで喜ばないんだ!」とキレる人は、その人の自己満足の行為だということがわかるのです。
クリスチャンで多いのが、信仰を強要することではないでしょうか?
みんさん、伝道において、勧誘と強要は違いますからね。
勧誘は、あくまでも勧めること。
でも、相手が、押しが強いと感じれば強要になります。
なぜ、ゆうき牧師がYouTubeをしているのか?
サムネイルをクリックするのは、あくまでもその人です。
YouTubeがおすすめをしてくれますが、見ろ!と強要はしていません。
良い方法だと思います。
確かに、伝道は大事です。
聖書の福音は人生を変えるくらい素晴らしいものです。
でも、相手が求めてないと、意味がないです。
神様すら、強要はしないんです。
よく、なんで、神様は「信じないと地獄に落ちる」と強要するんですか?と質問がきますが、神様は強要しません。
あなたは、信じるか信じないか、選択権があります。
その上で、信じれば天国。信じなければ地獄という結果が聖書に書いているだけで、強要はしていません。
死んだ後に、『え!?俺、地獄に行くの?聞いてないよ!え、あなたがイエス様?聞いてないよ~だったら、もっと言ってよ~』という人がいないように、
「一様、伝えたからね!」というのが神様の優しさです。
「天国と地獄があるなら、なんでもっと詳しく教えてくれなかったんだよ!」と怒る人には、「いやいや、書店に行けば、いつでも聖書は変えるし、天国と地獄の概念って、全ての人が一度は聞いたことがあったはず。あなたが、興味を持たず、他のことで忙しくしていたからでしょ?」
「いやいや、だったら、俺がイエス様を信じるように、してくれればいいじゃん!」
「それはあなたが嫌いな強要ではないですか?」
すみません。僕の説明の神様像が、ひろゆきみたいになってます。
つまり、神様は、おせっかいではないということです。
人間関係のベストな距離感は、神様に学びましょう。
③密告者
=他人の悪いことや噂を告げ口すること密告は、誰かのことを、第三者に告げ口することですね。
今ではスラングになっている「チクる」も「密告る」と字が当てられることもあります。
小さな子供がいる人はこんなことありませんか?
わが子が、誰かに何かされるたびに告げ口してくる。
お友達のやっていることをいちいち告げ口してくる。
この子どもが告げ口する深層心理とは何なのか?
子育ての専門家の立石 美津子さんによると、
どちらも、気を引きたい、かまってほしい気持ちの表れだそうです。
誰かに何かされるたびに告げ口する子供は、悲しい気持ちを慰めてほしい。
お友達のやっていることをいちいち告げ口してくる子供は、手柄をアピールして褒めてほしい。
これは、大人になっても同じだと私は感じます。
「チクる」人は、それを告げる相手の気を引きたい、かまってほしいという自己アピールが隠れています。
「自分があの人にこんな悪いことをされた!」という人は、悲しい気持ちを慰めてほしいから、あなたにチクるのです。
感情をわかってくれない人は、あまり、誰かのチクりを告げられれた経験がないないでしょう。
「先生、あの人ってこんなことしてるんですよ!」という人は、小さな不正も見逃さない自分をアピールしているか、褒めてほしいという気持ちが隠れているんです。
そんなときどう対処したらいいのか、子育ての専門家の立石さんは、「安易に同調してしまうことはますますエスカレートさせてしまうのでダメ」だといいます。「“そうなの。○○ちゃん悪い子ね。真似しちゃダメよ”とか、“○○くんのように○○しないようにね”というふうに同調してしまうと、また手柄をあげようと告げ口がエスカレートするだけでなく、人を見た目や態度で見下すようになってしまいます。他の子の良くない態度を告げ口してきたときは、サラリとかわしましょう。人は人です。お友達がどうであれ、わが子がそのときやらなければならないこと、正しいことを教えていくだけでいいのです」
この方の意見に、同感です。
他の誰がどうしたかは、いりません。
正しいことだけ、「あなたは」していけばいいのです。
だから、もし、私たちも、誰かに「あの人ってこうらしいよ」と告げ口を聞いたら、「あ、そうなんですね」とさらっと受け流しましょう。
誰かに、告げ口を言いたくなったら、「人は関係ない。自分はどうなのか?」だけを考えていけばいいんのです。
やはり、告げ口っていうのも、他人に干渉していることだというわけです。
終わりに
- ①人の仲を裂く人
=第三者を巻き込んで、関係を悪くさせる人 - ②おせっかい者
=対人関係の距離感が近い人 - ③密告者
=他人の悪いことや噂を告げ口すること
他人のことに干渉する者として、人間関係がこじれたり、苦難を受けているなら、それは、あなたの失敗や過ちで起きた苦難であり、喜ぶ必要もなく、通る必要もありません。
あなたが相手に謝ることが先決です。
二度としないように、すぐに悔い改めるべきです。
あくまでも、先週まで見てきた私たちが喜ぶ苦難は、通るべき苦難は、キリストの苦難なのです。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。
聖書(1ペテロ4:16)
私たちが通らなくてもよい苦難があります。
それは「自分の過ちからくる苦難」です。
聖書は、「他人のことに干渉する者」は「苦難(トラブル)を受ける可能性がある」と言っています。
他人のことに干渉する者とは?
- ①人の仲を裂く人
=第三者を巻き込んで、関係を悪くさせる人 - ②おせっかい者
=対人関係の距離感が近い人 - ③密告者
=他人の悪いことや噂を告げ口すること
もし、自分がこのようなことをしている場合は、今すぐに悔い改め、行動を変えましょう。
そうすれば、無駄なトラブルで苦しむことはなくなります。
ぜひ、キリストの苦難を通して苦しむ、私たちになれますよう、イエス様の御名でお祈りします。