44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
聖書(ルカ24:44-53)
45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
48 あなたがたは、これらのことの証人となります。
49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。
52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、
53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。
はじめに
イースターとは何なのでしょう?
聖書には、イースターという言葉は出てきませんが、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目に復活されたことのうち、特に「復活を祝う」ために世界中の教会で祝われているものです。
キリストは、日曜に復活しています。
クリスマスが、イエス様が誕生されたことを祝うなら、イースターはそれの復活版です。
この復活は、聖書の中でも最も大切な出来事の一つです。
なぜ、復活が大切なのでしょうか?
それは、復活を信じることで、私たちは、罪がゆるされ、永遠のいのちが与えられ、天国にいけるからです。
それだけではなく、神の子としての身分が与えれ、神の霊である聖霊が私たちのうちに住まわれるようになります。
一言いうなら、未来や過去が変わるだけではなく、現在の現実が変わります。
罪悪感からの解放、充実感、人生の目的が明確になり、自信がつきます。
愛や喜びが内側から溢れ、結果、人間関係にも良い影響を与えるようになります。
こんな話を聞いたら、「私もクリスチャンになりたい!」と言う人が出てくるでしょう。
むしろ、こんな話をせずとも、聖書やイエス・キリストに興味があり、信じたいという人は私たちが思っている以上に多いです。
しかし、その中で、つまづきになりうるのが、イースターの要「復活」です。
「復活だけは信じれないんです」という方もいるからです。
イエス様を信じたいんだけど、復活がどうもよくわからないから、信じれないというのは、僕にしてみれば、とっても残念です。
本当に信じたいなら、おそらく、本人が一番もどかしいはずです。
しかし、今、世界人口70億人のうち、23億人はクリスチャンのようです。
おそらく、大半は復活を信じているでしょう。
ガーデンチャーチでも、一年で9名が洗礼を受けました。
洗礼を受けたということは、みんな復活を信じたということです。
「復活」を信じる方法
今日、考えたいことは、人は「どうやって、復活を信じることができるか?」ということです。
考えられる選択肢を挙げてみました。
みなさんは、どれだと思いますか?
また、他にも方法があれば、教えてください。
- ①聖書を勉強すれば信じられる
- ②良いクリスチャンになれば信じられる
- ③強い意志があれば信じられる
- ④感情的な体験をすれば信じられる
- ⑤復活したキリストを見たら信じられる
どれでしょうか?
正解は、全部、不正解です。
①聖書を勉強すれば信じられる
→この世にはそこらへんのクリスチャンよりも知識がある、無神論者がいます。知識があっても、信じないという選択は可能です。
②良いクリスチャンになれば信じられる
→良いクリスチャンというか、復活を信じている人がクリスチャンなので、これは矛盾しています。③強い意志があれば信じられる
→これでは、福音が万人向けの無条件ではなくなります。私たちの意志は状況で簡単に揺れ動き、クリスチャンになっても意志が弱くなることがあります。
④感情的な体験をすれば信じられる
→体験は重要ですが、体験がなくても信じることができます。また、体験は主観的なので、本人以外はその人が救われているかを判断できず、危険です。
⑤復活したキリストを見たら信じられる
→見ても信じない人は必ずいます。むしろ、見たほうが信じれないかもしれません。そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
聖書(マタイ 28:17)
じゃあ、正解は?
みなさん、今日の箇所に書いていました。
45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
聖書(ルカ24:45)
神様に「心を開いてもらう」ことです。
これしかありません。
そもそも、私たちの心は閉じているのです。
罪によって、神がわからなくなっているのです。
目から鱗という諺は聖書の言葉であり、まさに私たちは目が曇っていて、復活も信じれないのです。
実は、イエス様の弟子たちも、みんな、最初は心が開かれていませんでした。
しかし、弟子たちには、このことばが理解できなかった。彼らには分からないように、彼らから隠されていたのであった。彼らは、このことばについてイエスに尋ねるのを恐れていた。
聖書(ルカ9:45)
しかし、今日の箇所で、弟子たちの心はイエス様によって、開かれたのです。
45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
聖書(ルカ24:45)
ここの「心」の原語のギリシャ語は、「ヌース」と言って、心の理性的方面を表す言葉です。
英語だと、mind「思考・認識・判断」をする心の側面です。
反対に、心が傷つくの心は「heart」ですね。
どういうことかというと、神が私たちの心を開くなら、私たちは、復活を理性的に理解でき、認識し、信じる判断が可能になるということです。
ガーデンチャーチで洗礼を受けた9名は、洗礼を受ける前に、復活を信じました。
それは、本人がどう思おうと、感じようと、神がその人たちの心を開いて、聖書にあることを悟ったからです。
今日も4人の方が洗礼を受けますが、おそらく一部の人は、「え、私は、復活を理性的に理解でき、認識し、信じているかな?」と不安になったかもしれません。
大丈夫です。
4回の聖書の学びの最後で確認し、信じる告白をしたなら、神の力で理解できています。
不安になる理由は、理解できていないのではなく、確信が伴っていないからです。
確信は、信じた後に、深まっていくので、心配は入りません。
今日、ここにおられる方々の中で、ライブを通して見ておられる方々の中で、
どうしても、復活は信じれないという方。
もっと、確信を深めたい方。
解決するには、たった一つの適用しかありません。
祈ることです。
神様が私たちの心を開いて、聖書にある復活を悟れるように、祈ることです。
それだけでいいのか?
いいんです。
今日は、特別に、去年ガーデンチャーチで洗礼を受けた、ちあきさんに「どうやって、キリストを信じるに至ったのか」についての証しをしてもらいます。
「証し」とは、神様が実際に働かれたことを、実体験から言葉を通して証明することです。
終わりに
今日、ここにおられる方々の中で、ライブを通して見ておられる方々の中で、
どうしても、復活は信じれないという方。
もっと、確信を深めたい方。
解決するには、たった一つの適用しかありません。
祈ることです。
神様が私たちの心を開いて、聖書にある復活を悟れるように、祈ることです。
それだけでいいのか?
いいんです。
一緒に祈りましょう。