19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
聖書(エステル記 2:19-3:1)
20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
3:1 これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
はじめに
ツイッターにあった投稿です。
今まで 休日出勤もしてきた
でも、それすらも評価されないし、都合良く扱われるだけなので
お休みの日に出たくないのでと言いました。
もう辞めるし尽くしてもなんの意味もないからね。
私は現場仕事したくてきたのになんでこんな事務ばかりさせられるの。現場仕事してた頃が楽しかった。
皆さんも、日々の仕事で頑張っているのに、なんで自分は評価されていないのかと感じたことはありませんか?
これは、何も仕事だけじゃありません。
こんなに家庭や子育てを頑張っているので、夫や妻から評価されていないように感じる。
こんなに相手に尽くしているのに、相手から一切感謝がなく、腹が立つ。
むしろ、こんなに陰で頑張っているのに、無責任で、悪いことをしている「あの人」の方が、評価されているのではないか?
結果、ストレスが溜まって、誰かに愚痴を言ったり、ストレス発散のために時間やお金を浪費してしまう。
あるいは、妥協して、自暴自棄になる。
正しいことをしているのに、評価されない時、私たちはどう対処すれば良いのでしょうか?
実は、今日のエステル記に、その答えが載っています。
今日の聖書から、私たちの人生で起こる現実的な問題に対する答えを見てきましょう。
正しい評価を受けられないとき
今日の主人公は、エステルの育ての親である、おじのモルデカイです。
19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
聖書(エステル記 2:19)
「王の門のところに座っていた」とは、モルデカイが、王宮の役人として 王の門のところにすわり、入口を守っている者たちとともに勤めていたという意味です。
イスラエルでも、民の問題をさばくために長老たちや指導者が門のところにすわって仕事をしていました。
つまり、モルデカイは、高い地位に着いていました。
これは、元々なのか、それとも王妃になったエステルが推薦したのか、わかりません。
しかし、この高い地位にいることは、今後、用いられることになります。
その時、大きな事件が起きました。
21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
聖書(エステル記 2:21)
王が側近に暗殺されることを、モルデカイが突き止めるのです。
22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
聖書(エステル記 2:22)
モルデカイは、すぐに、エステルに連絡をとり、エステルは王に告げて、問題を解決します。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
聖書(エステル記 2:23)
これが今日のストーリーです。
「王の命を救ったモルデカイ、えらいね」で終わりそうなストーリーです。
何が問題なのでしょうか?
皆さんは、先ほど、読んで「え?」と思いませんでしたか?
聖書を注意深く読むと、二つ「え?」と思うことがあります。
モルデカイに褒美が与えられなかったこと
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
聖書(エステル記 2:23)
モルデカイの代わりにハマンが昇進したこと
これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
聖書(3:1)
これは普通、理解できません。
つまり、冒頭の話でいえば、モルデカイこそ、まさに、正しいことをしているのに、評価されなかった人です。
私たちだったら、文句がでます。
主張するかもしれません。
王に電話して、クレームするかもしれません。
「ボーナス忘れてませんか?」
例えば、自分が活躍したのに、ボーナスがない。職場で昇進できない。むしろ、違う人が昇進する。
教会で、自分以外が重んじられる。
まさに、「なんで、自分は認められないのか?」と思う時です。
しかも、私たちがクリスチャンであれば、クリスチャンだからこそ、神に文句を言いたくなる時すらあります。
「神様、なんでですか?」「自分は正しいことをしました」「でも、なんで、私にこんな仕打ちをするのですか?」
「神がいるのになぜ?」
神は最善をなされる
皆さんは、この聖書の箇所をどう解釈しますか?
「神がいるのになぜ?」神を信じている正しい人、モルデカイは、昇進できなかったのでしょうか?
しかも、それどころか、反ユダヤ主義の悪人ハマンが昇進したのでしょうか?
この後、ハマンはユダヤ人を抹殺するために、悪事を働きます。
神はモルデカイが嫌いだった?
神はハマンを通して、ユダヤ人を痛めつけたかった?
そんなわけないでしょう。
じゃあ、今日の出来事はなぜ、起こったのか?
結論から言うと、「神の大きな摂理の中ではこれが最善だったから」です。
エステル記を最後まで読んで、そのストーリーを覚えている人なら、この意味がわかります。
しかし、読んだことない人や忘れている人ににとっては、「なぜ?」と思うでしょう。
まず、今回のモルデカイのファインプレーで起こったことを整理します。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
聖書(エステル記 2:23)
モルデカイは王の生命を救った。
→王が殺されていたら、エステルも殺されていた可能性が高く、のちに起こるユダヤ人抹殺は止められなかったかもしれない。
反逆者の裁判と処刑が適切に行われた。
→王が殺される可能性の根が摘まれた。
モルデカイの行動は王宮の記録にとどめられた。
→のちに、一番良いタイミングで、この記録(証拠)が用いられる。
つまり、神は、一番良い時に決め球を使う予定だったということです。
優秀なピッチャーは、一番良いタイミングで、決め球を使います。
2ストライクで追い込んで、フォークを投げるのです。
これは、あらゆる場面でプロがやるテクニックです。
物事は、タイミングが大事なのです。
銀行営業でも、同じことがあります。
期の最後で、大型の契約を結んで、ライバルの支店を一気に抜いて勝つことがありました。
そのために、隠し球を何個も隠すのです。
もし、隠さないで、期の最初で契約すれば、ライバルは計算しやすくなり、負けじと頑張ります。
しかし、油断させといて、最後でドカンと数字を上げれば、ライバルはもう追いつく時間がありません。
同じように、神さまには神さまの最善のタイミングがあることを知りましょう。
神様は、わたしたちよりも、もちろん、比較できないほど賢いです。
これを神の摂理。神のご計画と呼びます。
私たちには「なぜ?」と思うことでも、神様には答えがあります。
もし、今、あなたの人生で「なぜ?」と思うことがあるなら、3つのことを適用として覚えたいと思います。
①神が最善に導かれることを信じる
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
聖書(ローマ書8:28)
その根拠は、神は私たちを愛してくださっているから。
神はあなたを愛していますか?
Yes
父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。
聖書(ヨハネ 16:27)
なので、私たちは、モルデカイのように、自分の常識とは違うことが起こり、「なぜ?」と思うことがあったとしても、固く立つことができるのです。
これが、イエス様を信じるクリスチャンの強さです。
②神の時を待つ
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
聖書(伝道者の書 3:11)
神様が、今ではないなら、今じゃないんです。
でも、必ず、神さまの最善のタイミングがあるから、待ちましょう。
③神の前にへりくだる
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
聖書(1ペテロ5:6)
「ちょうど良い時」とは「神の時」のことです。
それまで、どうやって待つのか?
「へりくだる」ことです。
「なんで私を認めてくれないんですか?」とクレームを入れたり、自分の手柄をアピールする必要はありません。
神様はあなたの「良い行い」を見ています。
むしろ、それを信じているからこそ、人の前では謙遜に生きましょう。
聖書は、エステルが王妃になった後でも、叔父のモルデカイの前で謙遜で、従順だったことを明記しています。
エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
聖書(エステル記 2:20)
この品性が神に用いられる秘訣です。
聖書には、この時のモルデカイのクレームや怒りや、失望などの記載は一切ありません。
モルデカイも、また、神の最善を信じ、謙遜に今回のことを治めたのです。
もちろん、私たちの主であり、最大のモデルであるイエス様も、いつでも謙遜に、神の時を待たれました。
6 キリストは、神の御姿であられるのに、 神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
聖書(ピリピ書2:6-8)
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 人間と同じようになられました。 人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、 それも十字架の死にまで従われました。
神ご自身こそ、自らを低くされたのです。
その結果、神の最善が達成されました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
聖書(ピリピ書2:9-11)
10 それは、イエスの名によって、 天にあるもの、地にあるもの、 地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
聖書は次のように、私たちにチャレンジします。
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
聖書(ピリピ書2:12-14)
13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
終わりに
今日、ここにおられる方々の中で、ライブを通して見ておられる方々の中で、こんなに頑張っているのに、なんで自分は評価されていないのかと感じている人。
神様に「なんでですか?」と疑問がある人。
3つのことを適用してください。
- ①神が最善に導かれることを信じる
- ②神の時を待つ
- ③神の前にへりくだる
そうすれば、私たちは神様の大きな摂理の中で、驚くべき計画の成就を目撃するのです。