1 これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
聖書(エステル記3:1-6)
2 それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
3 王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。
4 彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5 ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。
6 しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。
はじめに
「神がいるのに、なぜ、戦争は起こるんですか?」
クリスチャンでない人から、よく聞く質問です。
この問いに関しては、今後YouTubeチャンネルで答えるので楽しみにしてほしいと思います。
逆に、神がいないなら、戦争は起こらないのでしょうか?
どう考えても、起こります。
戦争って国同士の喧嘩みたいなもので、私たち人間はすぐに、友達や家族など、ささいなことで敵対して争ってしまうからです。
完全に防止ができないので、やっぱり、小さな争いがなくならない限り、大きな争いはなくならないのです。
国同士だろうが、所詮、人と人との間に敵対心が生まれることが、争いの原因なのです。
今回の箇所では、個人間の敵対心が、民族同士の争いにつながるケースです。
ストーリーをざっと説明すると、エステルの育ての親のモルデカイという人が、ハマンというペルシャ王国のお偉いさんに頭を下げないシーンがでてきます。
それにより、ハマンはモルデカイ、そしてユダヤ人に敵対心を持ち、ユダヤ民族虐殺という危機的状況につながっていきます。
なぜ、争いが起こるのか?というよりも、なぜ、人は敵対してしまうのか?という問いの方が重要です。
今日の箇所を読めば、争いの原因である「敵対心」の背後に潜むものが何かがわかります。
敵対心の背後に潜むもの
では、「敵対心の背後に潜むもの」は何でしょうか?
結論を一言で言うならば、
①サタン
前回のメッセージで、3章1節は、おかしいということを説明しました。
2章の終わりを読むと何がおかしいかがわかりますね。
もう一度、復習します。
21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
聖書(エステル記2:21-23)
22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
モルデカイは王の命を助けました。これは相当すごいことです。
モルデカイが昇進することを読み手は期待します。
しかし、なぜかここでは代わりにハマンが昇進します。
普通ならモルデカイなはず。
前回は、この出来事の背後には、神さまの大きな摂理があることを説明しました。
私たちには理解できなくても、後でこの伏線が回収され、最善の道に導かれると。
しかし、大きな神さまの下に、もう一人のフィクサー(黒幕)がいることをまず、覚えたいと思います。
それは、神さまの働きを邪魔しようとするサタンです。
神様が見えないように、サタンや悪霊も見えないけど存在します。
1節を聖書の背景知識を用いて読むと、より背後にサタンの力があることがわかります。
1 これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
聖書(エステル記3:1)
一節を読むと、ハマンがアガク人であることがわかります。
アガク人といえば、1サムエル15章で神さまがサウル王に聖絶しなさいといったアマレク人の王の名前です。
一方、モルデカイはベニヤミン人だと書いています。
スサの城に一人のユダヤ人がいて、その名をモルデカイといった。この人はヤイルの子で、ヤイルはシムイの子、シムイはベニヤミン人キシュの子であった。
聖書(エステル記2:5)
キシュといえば、イスラエルの最初のサウル王の父親です。
ここでのキシュはサウルの父親であるという学者もいますが、ここでエステル記の筆者が強調していることは、過去の関係が子孫にまで影響しているとのことです。
サウルはアガク王を殺しました。
今は、アガク王の子孫ハマンがサウルの子孫モルデカイを殺そうとしています。
その背後には、神さまに選ばれたイスラエル民族に復讐しようとしているサタンの働きがあるのです。
なので、個人間、民族の敵対の背後に、神の計画を阻止しようとするサタンがいることを知らないと私たちは、人生の問題や、世界情勢を理解することはできません。
②私たちの罪
2 それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
聖書(エステル記3:2)
ハマンが通る時、モルデカイは膝をかがめませんでした。
なぜでしょうか?
2つの理由が考えられます。
- a.宗教的理由(例:ダニエル)
- b.民族的プライド
ここでひざをかがめるとは、王に対しての礼儀で、普通にあったことです。
宗教的な意味ではありません。
つまり、モルデカイには「ユダヤ人」という民族的なプライドがあったことがわかります。
一方、ハマンもアガク人の子孫。ユダヤ人が過去に自分の民族を神の名によって虐殺したことを知っています。
ここに、2つの民族的プライドのぶつかり合いがあるのです。
しかし、民族的なプライドが悪いわけではありません。
良いプライドはお互いの尊重を生むからです。
神さまはお互い、尊重しあい、愛し合い、平和を保つように人間を作りました。
しかし、今回、民族的なプライドは敵意へと発展します。
なぜでしょうか?
それは、ハマンが名誉欲と支配欲という罪に満たされていたからです。
3 王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。
聖書(エステル記3:3-5)
4 彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5 ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。
なんで自分に敬意を払わないんだ!これが名誉欲です。
6 しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。
聖書(エステル記3:6)
ハマンは、なんと一人だけ殺す事は満足しなかったようです。なぜなら、自分には民族全体を虐殺できる力がるということを見せつけたかったからです。
自分がコントロールしているんだと示したかったからです。これを支配欲といいます。
「敵対心の背後に潜むもの」
- ①サタン
- ②私たちの罪
つまり、サタンは私たちの罪(弱さ)を焚きつけ、敵対させるのです。
これを覚える必要があります。
サタンは罪のない人を誘惑できません。
イエスさまへの誘惑は無駄でした。
しかし、少しでも「破れ口」があると、罪はそこから侵入します。
真空パックの中にあれば食べ物は、すぐには腐りません。
カビは、雑菌がなければ繁殖しません。
しかし、聖書から見れば、私たちは皆罪人。
破れ口は必ず存在します。
サタンは、そこに目をつけ、罪を焚きつけ、敵意を起こす天才であることを知らなくてはいけません。
敵意を無くす方法
私たちにはどのような罪の破れ口があるでしょうか?
どんなに謙遜な人でも、人間である限り、名誉欲はあります。
なぜ、私たちは人前で緊張するのでしょうか?それは、人によく思われたいからです。
また、なぜ、私たちは一生懸命勉強するのでしょうか?仕事するのでしょうか?
成功して人から尊敬されたい、よく思われたいということが動機である場合があります。
仕事場の上司や後輩、カップルや友達、家族まで、どっちがリードするのか、誰が主導権を取るのか。
人間関係にも、実は支配欲が大きく関わっています。
では、なぜサタンは、罪を焚きつけて私たちを敵対させるのでしょうか?
自己満?違います。
いじめ?違います。
神の計画を阻止するためです。
6 しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。
聖書(エステル記3:6)
それは、ユダヤ人を抹殺することでした。
なぜ、サタンはユダヤ人を抹殺させたかったのでしょうか?
それは、この数百年後にユダヤ人からキリストが生まれるということを知っていたからです。
神さまは人間の子孫からキリストが生まれることを計画されました。
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。 彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
聖書(創世記3:15)
創世記では、サタンと私たち人類の間に、敵意があるとはっきりと語っています。
ユダヤ人だけではありません。
サタンは神さまが人間を通してご自身の計画を表わすということを知っているので、常に神に従う人間を敵対させ、抹殺しようとしています。
職場であなたに敵対してくる人いませんか?
あなたも誰かに敵対心を持っていませんか?
親、友達、家族、昔の知り合い…
その敵対心をサタンは使おうとしています。
あなたが、神に用いられることを阻止するためなのです。
では、どうすれば、ハマンのような、敵対心むき出しの人や、欲に満たされた社会に立ち向かえばいいのでしょうか?
社会は「膝をかがめろ」と言ってきます。
その流れに身を任せる方が、楽です。
しかし、モルデカイは膝をかがめませんでした。
結果、迫害を受けます。
しかし、これがクリスチャンのあるべき姿なのです。
キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
聖書(2テモテ3:12)
じゃあ、私たちの罪を刺激し、敵対心を煽るサタンにどう対処すればいいのか?
やはり、模範はキリストです。
イエスがそこを出て行かれると、律法学者たち、パリサイ人たちはイエスに対して激しい敵意を抱き、多くのことについてしつこく質問攻めを始めた。
聖書(ルカ 11:53)
イエスさまは、多くの人に敵意を向けられ、迫害されました。
しかし、キリストは、自分が死ぬことで、敵意を十字架につけたのです。
14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、
聖書(エペソ 2:14-16)
15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、
16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
私たちがイエスさまのように、十字架にかかる必要はありません。
しかし、この敵意は十字架につけられて、滅ぼされたことを信じる必要があります。
敵意は何も生み出しません。
しかし、敵意を超えるもの、愛は全てを覆います。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
聖書(1ペテロ4:8)
9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
敵意を愛で覆いましょう。
そんなのできない?
その通りです。できません。
「キリストの愛が溢れない限り」できません。
しかし、私たちが十字架の前で、へり下り、聖霊に満たされるならば、神の愛という聖霊の実が、敵意を覆う実として結ばれるのです。
終わりに
「敵対心の背後に潜むもの」
- ①サタン
- ②私たちの罪
つまり、サタンは私たちの罪(弱さ)を焚きつけ、敵対させるのです。
職場であなたに敵対してくる人。
誰かに敵対心を持ってしまう私。
解決は、イエスさまの十字架です。
敵意を神様に明け渡して、代わりに神の愛が私たちの心を満たしてくれるように、祈りましょう。
そうすれば、あなたを通して、神の計画が成就します。