エステル記から読み解く「君たちはどう生きるか」⑦わたしたちが人を利用するとき 聖書(エステル 3:7-15)

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7 クセルクセス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月を決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられた。くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。
8 ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。
9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」
10 王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11 王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」
12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。
13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。
15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。

聖書(エステル記3:7-15)

はじめに

日本人なら誰もが子供の頃にこの歌を聞いたことがあると思います。

「いーっけないんだー、 いっけないんだー、せーんせーにいってやろー」

誰かが、悪いことをしたときに大声で歌います。

小学生のとき、クラスに絶対ひとりはすぐに先生に告げ口をいう生徒がいました。
「先生、あの人がこんなに悪い事をしたんです!怒ってください!」

これは小学生に限ったことではないんです。また、日本だけでもないんです。
実に、私たち大人も同じパターンで人を利用して自分のうっぷんをはらそうとすることがあります。

今回の箇所にでてくるハマンも同じパターンで王様を利用して「ユダヤ人抹殺」を企みました。

自分に無礼な態度をとったユダヤ人モルデカイに腹を立てたハマンのユダヤ人抹殺計画がいよいよ実行に移されます。

しかし、ハマンには理由もなく民族を皆殺しにするほどの権力はありません。

どうすればそれができるだろうか…と考え、ハマンは思いつきました。

「そうだ。王を使おう」

なぜなら、ペルシャ王国には王の指輪で印が押された法令は一番力がある。
一度、法令が出されたら、例え王様でも撤回は出来ないほどの絶対的な力を持つ。

ハマンは王に話しにいき、王の承諾を得ます。

11 王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」

聖書(エステル記3:11)

今日のポイントは、私たちもハマンのように、無意識的に、あるいは意識的に「3つの方法」を使って周りの人を動かしているということです。

ハマンの3つの行動と隠れた心の動機を深く観察することで、私たちも主の前に自分の行動と心の動機を探っていきましょう。

人を利用しようとしてしまう3つのパターン

ハマンが王を動かした3つの方法の一つ目は、

①うそを付いて人を利用する

8 ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。

聖書(エステル記3:8)

ハマンの説得を分析すると、巧みに結論を誘導しています。

  • a.事実で始める
    ・散らされている一つの民族➡事実
    ・法令が違う➡事実
  • b.事実に嘘を混ぜる
    ・彼らは王の法令を守っていない➡嘘

まったくそのような根拠がなく、法令が違うという事実と、法令を守っていないという嘘をつなげます。

  • c.全くの嘘
    ・そのままにしておくことは、王のためにならない➡嘘

結論がめちゃくちゃですが、聞いている方は、なんだか本当のように感じます。

また、ハマンは民族の名前を入れない。取るに足らない民族といいます。
ユダヤ民族と特定すれば、もしかして王が思いとどまる可能性があるので、
あえて言いません。

私たちが、うそをつく動機は何でしょうか?

説得して自分を正当化したいということがあります。

実は、その正当化は、嘘によって論理的におかしくなっていることに、私たちは気づいていないことが多くあります。

腹が立ったとき、人を妬んだとき、嫌な気待ちになったとき、

「あいつだけは赦さない」
「あいつだけには負けたくない」
「あいつだけは痛い目に合わせてやる」
「あいつをギャフンと言わせたい。」

本来はその思い自体がよくないことです。
しかし、私たちはそれを正当化するために、言い訳を言うのです。

「相手が悪いんだ。自分が怒るのも当然。自分は悪くない」

最悪、相手が罰を受けるのはしょうがないという結論に至るのです。

本来は、腹がたったということを素直に認めるべきなのですが、私たちは、事実にうそを混ぜて、誰かを自分を正当化するために利用するのです。

②陰口を言って人を利用する

8 ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。

聖書(エステル記3:8)

ハマンは、「王のためになりません」といって王の怒りも引き起こします。

私たちもわざと大げさなことや、言わなくていいこと、ほとんどの場合は事実に嘘を混ぜて、人を自分の味方にしようとします。

「あの人、あなたにもこんなこと言ってたよ」
「あの人と付き合ったら損するよ」
「あの人こんなひどいことする(した)んだって。あなたも気をつけて」

学校や、主婦の間、最近はインターネットでこのような陰口は絶えず、集団によるいじめにつながっています。

その動機は何でしょうか?

被害者を作って自分を正当化したいということです。

自分の意見(不満)に同調させたい(傷をなめて欲しい)。
責任を分散。悪いのは自分だけではない。

本来は、周りの人は関係ないのですが、
私たちは、陰口で誰かを自分を正当化するために利用するのです。

③弱みを突いて人を利用する

9 王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」

聖書(エステル記3:9)

ハマンは、最後に王に膨大な額のお金を納めると約束します。
王は、度重なる戦争や、来たるギリシャ遠征により、喉から手が出るほどお金が必要で、いらないとは言えませんでした。

11 王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」

聖書(エステル記3:11)

その後、王はお金は、要らないといいますが、これは東洋的な謙遜の表現であり、この後、王は確かにお金を受けとったことがわかっています。

ハマンは賄賂を渡す事で、王の弱点を巧みに突き、王を利用したのです。

私たちも、相手の弱みをついて人を利用することがあります。
まず、相手が欲しいものを満たす事によって、こちらの味方につける。

ビジネスでは接待と言うことばがありますね。

「タダよりも怖いものはない」とは、私の銀行時代の課長のことばです。

自分に不利なことが起こっても孤立しないように味方を作っておく。
誰も自分に多くのプレゼントをくれる人に反対はしづらいはず。

これを心理学で返報性の法則と言います。

その動機は何でしょうか?

人を支配して自分を正当化したいということです。

本来は、味方を作る必要はないのですが、
私たちは、賄賂で誰かを自分を正当化するために利用するのです。

以上のように、私たちは3つの方法で人を利用します。

  • ①嘘を付いて人を利用する
  • ②陰口を言って人を利用する
  • ③弱みを突いて人を利用する

しかし、これらの動機はすべて同じでした。
自分を正当化したい。

私たちは正当化することによって、守らなければいけない弱い自分がいるのです。

  • 劣等感から来るねたみ
  • 傷つけられた過去(プライド、名誉、自尊心)
  • 逃げ道のない怒り
  • 競争社会でこれ以上傷つかないために。

どうしたら、私たちはこの被害者意識から抜け出すことができるのでしょう?
この、妬み、怒り、傷はどこにもっていけばいいのでしょう?

イエスキリストです。
私たちには死に場所があるのです。

無理に正当化する必要はないのです。
その弱い、罪深い自分のままで、十字架の前にひれ伏すのです。

すると、本来、十字架にかかるべき、弱い、情けない自分の代わりに、十字架にかけられた血だらけのイエス様の姿を見るのです。

キリストは私たちのすべての妬み、怒り、傷を受け、十字架で死なれました。
イエスさまは私たちのすべての悪を知っています。
それは、私たちを責めるためではなく、私たちをそこから解放するため。

「大丈夫。これ以上自分を正当化する必要はないよ」

そのままのあなたでいいんだ。
だから、いらないプライド、怒りや妬み、不安をおろしなさい。

イエス様はそのように、私たちに優しく微笑んでおられるのです。

終わりに

私たちは3つの方法で人を利用します。

  • ①嘘を付いて人を利用する
    →説得して自分を正当化したい
  • ②陰口を言って人を利用する
    →被害者を作って自分を正当化したい
  • ③弱みを突いて人を利用する
    →人を支配して自分を正当化したい

この一週間、もう一度ハマンのように私たちも、自分を正当化するために人を利用してないかを確認しましょう。
そして、キリストの十字架により、もうこれ以上自分を正当化する必要がないことを知り、キリストの十字架の前ですべての妬み、傷、自己主張を置きましょう。

キリストの十字架により、あなたは義とされました。
他の誰があなたを責めても、キリストはあなたを責めないで愛してくださいます。

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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