どんな時でも神さまは祈りにすぐに答えて、助け出されるでしょうか?
そうでない場合もありますよね。
実際、エレミヤなどの預言者の叫びの祈りも虚しく、イスラエルはアッシリヤやバビロンに滅ぼされました。
しかし、聖書は、神が沈黙を破られるように祈り続けなさいと言っています。
神よ、沈黙していないでください。黙っていないでください。神よ、黙り続けないでください。
聖書(詩篇83:1)
詩人アサフは、神に対する切実な嘆願をもって祈ります。
敵がイスラエルを囲み込み、今にも消し去ろうと攻撃を仕掛けてきているからです。
「神よ」と2回くり返して呼び、異なる表現で3回も、神に助けを求めています。
沈黙していないでください。
黙っていないでください。
黙り続けないでください
神は、愛する者の切なる祈りに沈黙される神でしょうか?
いいえ。
愛する者の祈りに、沈黙し続ける姿は、神様のあわれみ深いご性質にそぐいません。
では、なぜ、神様は沈黙される時があるのでしょうか?
罪の裁きを忍耐しておられる時でもあるからです。
当時のイスラエルは、神の裁きが必要ないくらい、清廉潔白だったわけではありません。
愛なる神様は同時に正しいお方でもあるので、イスラエル全体の罪を見逃すわけにはいかないのです。
しかし、アサフの祈りは確かに、神様の心を動かしました。
その後、当時のイスラエルは滅びましたが、神はイエスキリストを遣わしました。
神は人間となって、十字架にかかり、人々の裁きを受けられました。
しかも、そのことを信じるものには、罪の赦しを無条件で与えられたのです。
神の沈黙には意味があります。
私たちには沈黙される意味がわからなかったとしても、神様が絶対なタイミングと方法で答えられるのです。
ですから、私たちは、祈り続けましょう。
必ず、神様が動いてくださいます。
いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
聖書(ルカ18:1)