人は育ってきた家庭環境や境遇によって、「◯◯してはいけない」という思い込みをもっています。
多くの場合はそれは無意識であるので、気づくのは非常に困難です。
ほんとうは甘えたいくらいの年齢に、早く大人になる必要性に迫られ、子どもとして甘えられなかった人は、「甘えてはいけない」「弱音を吐いてはいけない」と自分を禁止している可能性があります。
問題は、自分の前に「甘えている人」「弱音を吐く人」が現れたき、イライラしたり、モヤモヤしたりするということです。
他にも、よくある禁止事項として、
●「迷惑をかけてはいけない」
●「失敗してはいけない」
●「人を信用してはいけない」
●「弱音を吐いてはいけない」
●「休んではいけない」
●「感情的になってはいけない」
●「言ってはいけない」
●「目立ってはいけない」
などがあります。
これは他人の言葉や環境によって自分が勝手に作り上げた思い込みで、実は神様は禁止していません。
聖書の1番最初に、最初の人間アダムに神様が、善悪の知識の木の実を食べてはいけないと禁止する場面が出てきます。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
聖書(創世記2:17)
結局、アダムはこの木の実を食べてしまい、その結果、人間が神のように善悪を勝手に判断するようになってしまうのです。
しかし、これは悲劇です。
人間が、勝手に「してもよい」「してはいけない」と判断しても、それが正しいかは神にしか分かりません。
勝手に「◯◯してはいけない」と思い込み、結果、不幸になります。
実は、神様はほとんど全てのことを自由にやっていいと許可していました。
神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
聖書(創世記2:16)
なんでもしてもいいよ!
でも、一つだけ、「善悪の知識の木からは食べてはならないよ」
たった一つの禁止事項です!
私たちもどうでしょう。
何個の禁止事項を自分で作り上げていないでしょうか?
「人に迷惑をかけてはいけない」て、本当に聖書に書いていますか?
迷惑をかけあう存在だからこそ、神様は「裁かず、赦しなさい」と勧めておられるのです。
「失敗してはいけない」って神様も禁じていますか?
失敗することを見込んで、神様は2000年前に十字架にかかっておられるのです。
自分の思い込みを消すためには、聖書を通して神様の考えを学ぶことです。