今日は、聖書の中に書かれている、「幕屋」について解説します。
皆さんはテントで最後に泊まったのはいつでしたでしょうか?キャンプと言えばテントですよね。なんだかわくわくします。時に風がふくと、バタバタとテントが揺れたり、雨が降るとけっこううるさくて眠れなかったりしますよね。実は聖書では神さまがテントに住まわれたと書かれています。なぜ、テントだったのでしょう?神さまはそんなにキャンプ好きだったのでしょうか?
この記事を読めば、聖書に書かれた「幕屋」がわかるようになり、幕屋に隠された秘密を理解することができるようになります。
ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた聖書の終末預言シリーズ動画や、日常生活にすぐに適用できる3分の短い聖書のメッセージ動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」「聖書をもっと学んでみたいな」という方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。
聖書は幕屋について何と言っているのか。
結論を一言でいうと、 幕屋は神さまが人と一緒におられるモデル です。
聖書を読むと、幕屋の大きさはサッカー場の半分ほどで、幕屋の設計図は全て神さまが書かれたことがわかります。
幕屋は誰のため?
彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
(聖書:出エジプト25章8節)
この聖書の言葉はイスラエルの人々がエジプトでの奴隷生活から脱出した後、モーセという人にお話しになられた箇所です。聖所とはすなわち幕屋、テントのことです。ここで大切なのは、神さまがイスラエルの人々と一緒に住むと書かれていることです。
神さまという方は特別な時だけ、人々と一緒にいてそのほかの時はどこか遠い所におられるかたではなく、「ただ中に住む」と言われたように、いつも私たちとおられ、私たちが生活の中で感じる様々なことを見て、聞いて、感じておられる方です。
この神さまは出エジプトからずっと後の時代にイエス・キリストとして再び人々のなかに住まわれました。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
(聖書:ヨハネ1章14節)
幕屋はどのように使われたのか?
では、この幕屋はどのように使われたのでしょうか。それは神様と人が出会う場所だったということです。
なので、神さまは幕屋のことを次のようなな名前で呼ばれました。
「会見の天幕」、「主の神殿」、「あかしの幕屋」等です。
もう一つわかっていることは、幕屋では人々のための犠牲の動物が捧げられ、特にモーセや祭司と「顔と顔を合わせて」お話になられたということです。
主は人が自分と友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。
(聖書:出エジプト33:11)
この聖書の言葉には実はすごいことが書かれています。日本人の神さま像は威厳があり、時には怖い顔をしたイメージさえあります。
しかし、聖書に書かれた本当の神さまは「友と語るように」私たち人間との関係を持ってくださる方だということです。
私たちが友達と語る時には、ざっくばらんになんでも話しをしますし、時には笑ったり、相手の話しに同情して「そうか、そうか」とうなずいたりします。これと同じように神さまは私たちとの関係を楽しみにされ、ごく近くにいつもおられ、親しく接してくださる方であります。
そして、このイメージは現代の教会で行われている礼拝に引き継がれています。人々は教会に集まり、賛美や祈り、礼拝で語られる聖書の言葉を通して、神さまが自分と友のように親しく語ってくださることに感謝をするのです。礼拝は神さまと出会う場所であり、時間なのです。
イエス様はこのようにおっしゃられました。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
(聖書:マタイ28:20)
幕屋は神さまのそばへと近づき、友達と語るように、神さまと会話をする場所でした。そのことは今も変わりがありません。礼拝はただ何となく行われているのではなく、神さまと親しく語る場所であり、時間なのです。そこで現代に生きる私たちにさえも、一緒におられることを聖書の言葉の約束を通して示されるのです。
まとめ
結論を一言でいうと、 幕屋は神さまが人と一緒におられるモデル です。
1.幕屋の大きさはサッカー場の半分ほどで、幕屋の設計図は全て神さまが書かれた。
2.幕屋で神さまは親しく友のように語られた。
3.神さまはいまも私たちと共にいていくださっている。
参考:聖書辞典(いのちのことば社)
新キリスト今日辞典(いのちのことば社)
幕屋(岐阜純福音出版会)
銘形秀則(空知太栄光キリスト教会)