今日は、聖書の中に書かれている、「肉の思い」について解説します。
「肉の思い」って言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?焼肉プレートに焼かれる肉でしょうか。「まいにち、まいにち、ぼくらはてっぱんの」というメロディーが聞こえる方もいるかもしれませんね。この言葉の意味についてクリスチャンでもはっきり説明をするのが難しいですし、初めてこの言葉を聞いた方は戸惑ってしまうかもしれませんね。
この記事を読めば、聖書に書かれた「肉の思い」の意味がわかるようになり、神を信じる歩みがより具体的になります。
ゆうき牧師のYouTubeチャンネルでは、世の終わりについて聖書が何を言っているかだけにフォーカスを当てた聖書の終末預言シリーズ動画や、日常生活にすぐに適用できる3分の短い聖書のメッセージ動画をアップしています。「この世はこれからどうなるのか?」「聖書をもっと学んでみたいな」という方は、YouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします。
聖書は肉の思いについて何と言っているのか?
結論を一言でいうと、 肉の思いとは、神さまに反抗しようとする罪の性質 です。
親しかった神と人
肉の思いを解説するには、神と人との関係が最初はどのようなものであったのかを知っておく必要あります。
すべてのものを創造された神さまは、その創造のクライマックスにおいて人を造られました。アダムとエバです。人を神様の姿に似せて造った神様は、彼らを神様と親しい関係をもつ存在とされ、彼らを祝福されました。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
聖書(創世記 1:28)
しかし、神様が食べると死んでしまうから食べてはならないと人に言われた「善悪の知識の木」の実を、アダムとエバは蛇の姿をしたサタンによって誘惑され食べてしまいました。
パウロはローマ書において、このことを通して、人類すべてに罪が入り、神様との関係が断ち切られてしまったと記しています。
こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──
聖書(ローマ人への手紙 5:12)
罪によって肉に支配される人
このようにして人類に入った罪の結果、人は罪に支配されるようになりました。この支配を聖書では、肉によって支配されているといい、そこから生じる思いは神さまに反抗しようとする思いだと言っています。
6肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
聖書([ローマ人への手紙 8:6,7,8)
7なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。
8肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。
もちろん、多くの人は自分に罪があるはずがないと考えているでしょう。私もそうでした。
しかし聖書にはこのようなストーリーがあります。
罪を犯した女性をイエス様の前に引きずり出し、イエス様がどのように女を裁くのか試そうとした人々に向かってイエス様は「罪をおかしたことのない人がこの女を石打の刑にしなさい」と裁きを言い渡しました。
すると、年長の物から一人、二人とその場所から立ち去り、だれも罪を犯した女を石打にする者がいなかったと記されています。
聖書は誰一人として、罪を犯したことがない人はおらず、その心の内側において、アダムが犯した神さまに逆らった罪の性質を引き継いでいることを示しています。
肉の特徴
では、人類に入った罪の結果としての肉の思いはどのような特徴があるのでしょうか。聖書にはこうあります。
19肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
聖書(ガラテヤ人への手紙 5:19,20,21)
20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
これらの肉の思いは自分の頑張りで一時的に抑えることができたとしても、なお湧き上がってくるもので、人の力では処理ができないものです。そのことを聖書ではこのように表しています。
私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
聖書(ローマ人への手紙 7:24)
人は誰でも自分のことがみじめでどうしようもなく価値がないものだと思うことがあるのは、実は肉の思いから来ているのです。
キリストによる肉の処理
その人の内側に絡みつく罪の結果、神さまに従おうとしない肉の思いを持つ人のために神さまは、御自分の御子を地上におつかわしになり人と同じ肉の姿をとらせられました。そして、人の持つ肉を十字架にイエス様をかけられて、人の肉の思いの身代わりにイエス様を処罰することを通して再び人が神さまとの関係を回復する道お与えになったのです。
肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
聖書(ローマ人への手紙 8:3)
このようにして神様は人の内側にある肉の思い、すなわち永遠の死にいたる罪を処理し、人を救ってくださるのです。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
聖書(ローマ人への手紙 5:8)
まとめ
結論を一言でいうと、 肉の思いとは、神さまに反抗しようとする罪の性質 です。
1.人と神との関係は、もともとは親しい。
2.アダムの罪により、人に罪が入り人は神に逆らうようになってしまった。
3.肉の思いは死である。
4.肉の思いに支配された人の罪を処罰するため、イエスキリストは十字架にかけられた
参考:新キリスト教辞典(いのちのことば社)
新聖書注解新約2使徒→エペソ(いのちのことば社)