「最近、なんかだるい」「頭がぼんやりする」「何もやる気にならない」
近年、私たち人類は今までにない疲れを感じることになりました。
それは、圧倒的な情報量と、変化のスピード、そしてそれについていかなきゃというプレッシャーから来るストレスです。
ある調査(※1)によると、日本の一般成人の60%、人口の3分の1が慢性疲労を抱えているようです。
2000年前にイエス・キリストは「私があなたを休ませる」と約束されました。
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
聖書(マタイ11:28)
「すべて疲れた人、重荷を負っている人」とはどういう人のことを指すのでしょうか?
当時、ユダヤ教の指導者は、旧約聖書に書かれている律法を守るように、民に過度にプレッシャーを与えていました。
本来、聖書に書いてある神様の命令すなわち律法というのは、「自分で頑張る」のではなく「神様の恵み」を覚える目的がありました。
しかし、それが宗教化してしまい、律法を守らないと救われないと教えていた指導者も出てきました。
その時に、神であられるイエス様が、「いやいや、律法というのは重荷を与えるものではなく、神の恵みによる自由を与えるものだ」と教えられたのです。
律法とは、神の愛に基づくものであり、奴隷の身分だったイスラエルの民に自由を与えるものでした。
現代を生きる私たちも同じ落とし穴に落ちてしまってはいないでしょうか?
日本には、様々な自由と保障があり、平和で文化的な生活を営むことができます。
にもかかわらず、仕事が私たちにプレッシャーやストレスを与え、自由を手に入れるためのお金を稼ぐために自由を失い、お金を得るために健康を失い、健康を得るためにお金を使います。
どこかで私たちは「なんか変だぞ」と思う必要があるのです。
聖書の答えは、単純です。
キリストの言葉を信じて、お任せすれば良いのです。
「私のもとに来て休みなさい」
「でも、お金が」「でも、仕事が」「でも、家族が」
そのような責任感は必要です。
しかし、負いきれないストレスを感じている以上、神様に助けを求めるタイミングなのです。
疲れている人は、今一緒に祈りましょう。