100億円を持っていた億万長者は、2008年から2009年にかけて起こったリーマンショックで、60億円を失ってしまいました。
とはいえ、私たちから見ればまだ40億円もあります。
生涯かけても使い切れないほどの大金です。しかし、その人はこう言いました。
「私は60億円も失ってしまった。日本でこれだけ失った人はいないだろう。だから私は、日本一不幸な人間だ!」
このような話から、幸せというのは、何かを所有することによって得られるわけではないことがわかります。
聖書は、神様との良質な関係を築くことこそが幸せな人だと言っています。
しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。
聖書(詩篇73:28)
この詩篇を書いたアサフは、彼の周りの悪い人たちが栄えて、何不自由なく生きている姿を見て落ち込みました。
富んでいる悪者に対して、アサフ自身には労苦があり、不幸に思える状況を神様に告白しています。
しかし、彼は詩篇の中で、「神を信じる自分の幸せ」を疑わずに告白しているのです。
「神のみそばにいる」とは、苦しみの中でも神様を信じ続けることです。
「神なる主を私の避け所とする」とは、取り巻く相対的な状況がどれだけ悪かったとしても、神様の愛と守りの中という絶対的な事実に目を向けることです。
私たちも、他人との比較や、相対的な状況によって、劣等感や喪失感を感じます。
冒頭のお金持ちのように、どう考えても十分だと思えるお金を持っていても、相対的に不幸を感じてしまうのです。
一時的な幸せは、不安をもたらします。
しかし、揺るがない神様の愛と守りの中で、永遠に続く幸福感を持つことほど強い人生はありません。
逆に、神様に愛されているという絶対的な幸福感があれば、不安的で相対的な社会の中でもどんどんチャレンジすることができるのです。