私たちの誰もが、本能的に「勝つ」ことに喜びと達成感を感じます。
テレビゲームでも相手にずっと負け続けたら、気分が悪くなるものです。
好きなスポーツのチームが負けるよりも勝った方が嬉しくなります。
聖書は、クリスチャンこそ、圧倒的な勝利者となると言っています。
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
聖書(ローマ 8:37)
ここでの「勝利」とは、誰かを踏みにじったり、従わせたり、優越感にひたることではありません。
そのような間違った「勝利」へのイメージから、あえてクリスチャンとして勝利の人生を拒む人もいるかもしれません。
聖書の勝利とは、どんな状況でも心に揺るがない平安を持つことです。
聖書の勝利には、3つの特徴があります。
①これらすべてにおいても
「これらすべて」とは、35節にある人生の問題・苦難です。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
聖書(ローマ 8:35)
キリストを信じれば、これらの問題がなくなるとは聖書に書いていません。
むしろ、これらすべての嵐や大波のような問題の真っ只中にあっても、心に平安を持つことができるということです。
では、なぜ、問題の只中でも、勝利できるのでしょうか?
それは、
②私たちを愛してくださった方によって
勝利できるからです。先ほどの、35節には、
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。
聖書(ローマ 8:35)
と書いていました。
クリスチャンにとっての敗北とは、平安を与えるキリストから離れてしまうこと。
子供が目の届くところにいて、親の手を握っている間は、どこに行っても無敵のメンタルを持っています。
恐い物知らずです。
でも、親を見失うと、パニックになり、泣き出します。
子供が変わったのではありません。
親を見失ったことが、子供のメンタルを変えたのです。
どんな問題が来ても「キリストの愛から引き離す」ことはできない理由は、私たちがキリストをつかんでいるからではなく、キリストがつかんでくださっているからです。
私たちが神の手を離したとしても、キリストは私たちの手を決して離されません。
これが、どんな苦難の中でも負けることのない勝利の理由です。
③圧倒的な勝利者
圧倒的なとは、「有り余る余裕をもって勝つ」という意味です。
人生の本当の問題は、不幸な出来事ではありません。
不幸な出来事を見て、落ち込み、不安と恐れに縛られることです。
今日も、次のことを信じましょう。
全治全能で死の力を打ち破った神が私たちと共におられる。
その神は、私を愛し、助けてくれる優しいお方。
絶対にあなたを見捨てない、手を放さないと言っておられる。
このことを信じ、苦難を避けることが勝利ではなく、どんな苦難の中でもブレずに、動じず、恐れず平安を持ち続ける真の勝利者になりましょう。