ギリシャ神話の神々の戦い。
光と闇の戦い。
神と悪魔の戦い。
これらはギリシャ哲学に見られる二元論の考えからくるものです。
二元論とは、哲学で、世界を相対立する二つの原理によって説明しようとする立場のことです。
二元論による区別は、わかりやすいですが、聖書を全て二元論で片付けることはできません。
聖書によると、神と悪魔の関係は、同等ではありません。
神が圧倒的にサタンの上にいます。
そもそも、光と闇は戦いません。光が現れると、瞬間的に闇は消え去るからです。
神とサタンの関係もそうです。
圧倒的に違うのです。
今日は、聖書から、神とサタンの違いを三つ説明します。
①神は創造主であり、サタンは被造物
明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。
聖書(イザヤ書14:12)
ここは、明けの明星が、天使長であったルシファーだと考えられており、神に反逆してルシファーは堕落し、サタンになりました。
天使は神によって造られた創造物です。
ルシファーは天使なので、神は創造主であり、サタンは被造物です。
そもそも、存在のレベルが違いすぎて、同じ土俵で同等に戦うことなどできません。
ヨブ記に、サタンが神の前にやってくるシーンが出てきます。
その時の特徴は、サタンは、神の許可なくしては人間を誘惑することができないということです。
ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。
聖書(ヨブ記1:6)
②神がサタンを裁くことはすでに預言されている
実は、聖書の一番最初の創世記にすでに、サタンの末路が預言されています。
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
聖書(創世記3:15)
「お前」とはアダムとエバを誘惑した蛇です。
「おまえの子孫」とはサタンのことで、「女の子孫」とは、やがて人として生まれるイエス・キリストのことです。
彼、つまり、キリストはサタンの頭を打ち砕きます。
十字架の死と復活によって、サタンは完全に敗北するといく意味です。
お前、つまり、サタン、彼、キリストのかかとを打ちます。
これは、十字架に打ちつけて殺すという意味です。
かかとは急所です。かかとを打たれると歩けなくなります。
しかし、死ぬほどではありません。
一方、サタンは頭が砕かれます。
サタンの方が致命傷です。
この創世記3:15は、聖書の最初の福音。つまり、原福音と呼ばれています。
創世記だけではなく、聖書の最後の黙示録にも、サタンの末路は書いています。
彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。
聖書(黙示録20:10)
この預言は変わることがありません。
つまり、サタンは神と戦う前から、すでに負けている。
なので、敗北というより、裁きが決まっているということです。
③神がサタンと戦うのではなく天使が戦う
聖書の中に、神がサタンと戦っている場面は出てきません。
サタンと悪霊軍と戦うのは、天使たちです。
7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、
聖書(黙示録12:8-9)
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
ミカエルは天使軍のリーダーです。
ここでの竜とはサタンのこと。
なんと、サタンは天使に負けます。
神が出る幕もありません。
どうでしょう?
これが聖書の真実です。