キリストの働き方改革「サーバントリーダーシップとは何か?」

キリストの働き方改革
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はじめに

今日は、キリストの働き方から「サーバントリーダーシップとは何か?」についてお話します。

前回は、神は働いているということを学びました。

次に大切なのは、神が「どのように働いているのか?」ということです。

例えば、考えてみてください。

神が目の下にクマを作りながらパソコンの前で長時間労働をしているでしょうか?
他の人をビシビシ、ガミガミ怒りながら、ある時は神の権力で無理矢理命令して働かせているでしょうか?

当たり前ですが、NOですよね。

そんな神、嫌です。

では、神はどのような働き方をされていたのでしょうか?

今日の記事を読むと「サーバントリーダーシップとは何か?」を聖書から知ることができます。

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「サーバントリーダーシップとは何か?」

三つのポイントで見ていきます。

①サーバント・リーダーシップとは何か

聖書を見ると、神の仕事スタイルは、「サーバント・リーダーシップ」です。

サーバント・リーダーシップとは、アメリカのロバート・グリーンリーフが1970年に提唱した言葉で、瞬く間に世界的に有名になりました。

サーバント”servant”は、直訳すると「仕える者」つまり、しもべです。
リーダー”leader”は、指導者です。

一見、矛盾するような言葉ですが、この意味は「リーダーである人は、まず相手のために仕えて、その後、相手を導くものである」というリーダーシップ哲学です。

神はどう考えても、人類のトップです。
創造主であり、リーダーです。

その神様は、人に徹底的に仕えるように働かれたのです。

創世記でも、神は率先して創造の仕事をされましたよね?

創世記には、人間が造られる前に、この世の全てのものを神が6日間で造ったのです。

コンピューターも、機械も、人間の労働力も使っていません。
そもそも、人間が生まれる前に、造っています。

また、サーバント・リーダーシップのモデルは、人の姿をとってこられた神の子イエス・キリストです。

②サーバント・リーダーシップのモデルはキリスト

イエス様は弟子たちにこう言われました。

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」

聖書(マタイの福音書20・28)

人の子とは、イエス・キリストのことです。

キリストは、仕事の姿勢の基本を「仕えること」と言い切りました。
そもそも、神がこの地上に来たのは、「仕えること」と言ったのです。

これ、すごいことです。

普通、神だったら、偉いので、しもべがいるはずです。

しかし、神は被造物である人間に仕えたのです。

なぜ?人に働くことの本質の模範を示したのです。

山本 五十六(やまもと いそろく」という人は、このような名言を残しています。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」

キリストは、まさに仕えることで、やってみせたのです。

しかし、キリストの12弟子たちは、勘違いをしていました。

一行はカペナウムに着いた。イエスは家に入ってから、弟子たちにお尋ねになった。「来る途中、何を論じ合っていたのですか。」
彼らは黙っていた。来る途中、だれが一番偉いか論じ合っていたからである。

聖書(マルコの福音書9・33-34)

誰が一番偉いかをいつも論じ合っていたのです。

そのとき、キリストはこのようにいいます。

イエスは腰を下ろすと、十二人を呼んで言われた。「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」

聖書(マルコの福音書9・35)

弟子たちは「先頭に立ちたい」と思っていました。
しかし、キリストは、先頭に立ちたいなら、皆に仕えなさいといいます。

「先頭に立ちたい」人の心にはおそらく、誰かに仕えられたい。楽したい。

しかし、キリストはその考えがそもそも違うというのです。

みんなに仕えなさい。

仕えるということは、辛いこともあるし、プライドも砕けるかもしれません。また、自分のお金を使うことにもなるかもしれません。

③具体例:弟子の足を洗うキリスト

キリストは口だけでなく、実際に、その仕えるリーダーシップ、サーバント・リーダーシップを実行しました。

イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。
こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。」

聖書(ヨハネの福音書13・4-7)

なんと、弟子たちの足を洗いました。
今よりももっと人の足を洗うことは当時抵抗があったと思います。

当時はサンダルなので、足が汚れていたからです。
それだけではありません。

足を洗うのは、奴隷の役割だったからです。

キリストは、奴隷のように、弟子たちの足を洗ったのです。

なぜでしょう?
彼らの足が汚くて、臭いのに耐えきれなかったからでしょうか?
奴隷がいなかったので、代わりにしたのでしょうか?

違います。
これは、弟子たちに、サーバント・リーダーシップを教える模範を示されたのです。

主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。

聖書(ヨハネの福音書13・14-15)

そして、最終的に、キリストがしたサーバント・リーダーシップは、全人類の罪のために、代わりに十字架で罰を受けて死ぬことだったのです。

普通、神なら、罪を犯した人間を好き勝手に裁いても問題ありませんが、キリストは私たちを愛しているので、命をかけて私たち人間に仕えられたのです。

キリストから偉そうな雰囲気は微塵も感じられませんね。

まとめ

それでは、今日の話をまとめましょう。

  • ①サーバント・リーダーシップとは何か
  • ②サーバント・リーダーシップのモデルはキリスト
  • ③具体例:弟子の足を洗うキリスト

次回は、「社会に影響を与える仕事の仕方社会に影響を与える仕事の仕方」について聖書から説明します。
乞うご期待!

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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