はじめに
日本全国の中学校や高校で講演をしている岡本和久さんによると。中高生に対して『お金はきれいなものか、汚いものか?』と質問をした場合、学生の8割弱が『お金は汚いもの』と答えるのだそうです。
お金に悪いイメージを持っている人が多いのは事実です。
皆さんも、お金大好き!お金たくさん持ちたいなぁって人に言うのってできますか?
心ではそう思っていたとしても、言えない理由は、お金に対して悪いイメージを持っている人が少なからずいるからでしょう。
世の中にあるトラブルは、お金が原因のことが無数にあるから、お金を悪者のように感じる人がいても仕方ないかもしれません。
なので、最近では多くの芸能人が、インフルエンサーがお金は良いものだと考えなさいと言う話が増えてきています。
お金が悪と言うメンタルブロックを外すことが、お金持ちになる秘訣だと言い切る人もいます。
皆様、お金を悪だと感じるでしょうか?それともお金は100%良いものだと断言できるでしょうか?
今日の記事を見れば、なぜ、お金を神と人のために捧げるのか?と言う理由を聖書から知ることができます。
この記事は2020年に出版した「仕事と聖書」という本の内容が元になっています。もし、この本に少しでも興味のある人は、こちらからLINE友達か、メールマガジンの登録をしてください。
今なら、この本の最初の1章の他、ここでしか手に入らない特典を無料でプレゼントしております。
「なぜ、お金を神と人のために捧げるのか?」
前回の記事では、なぜ、お金を神と人のために捧げるのか?の三つの理由を見てきました。
- お金は、神様の所有物だから。(詩篇24・1)
- お金は、天国に持っていけないから。(テモテへの手紙 第一6・7)
- お金は、価値のあるものに交換する媒体に過ぎないから(申命記14・26)
今日は、四つ目の理由をお話しします。
お金は、目的を間違えると誘惑になるから。(テモテへの手紙 第一6・9-10)
お金自体を愛すると言う行為が、聖書で言う罪になります。
このことを本能的に、直感的に、または経験を通して誰もが感じているので、お金に対して悪いイメージか知らない間に身に付いているのだと思います。
金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。
聖書(テモテへの手紙 第一6・9-10)
誘惑を避けるためには、お金を神と人を愛するために捧げることです。「捧げる」ことは次の3つの態度が必要です。
①満足する
金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。
聖書(ヘブル人への手紙13・5)
満足するとは、「貪欲」の反対です。
貪欲は、「もっともっと」と決して満足しない心です。
蛭には二人の娘がいて、「くれ、くれ」と言う。飽くことを知らないものが三つある。いや、四つあって、「もう十分だ」と言わない。
聖書(箴言30・15-16)
よみ、不妊の胎、水に飽くことを知らない地、「もう十分だ」と言わない火。
この箇所は、もう十分だと言わない私たちの貪欲さも表しています。
パウロは、自分の経験から、どんな状態でも満ち足りることができると言います。
私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
聖書(ピリピ人への手紙4・12)
どんな経済状態でも、満ち足りている人は無欲な人です。
酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、
聖書(テモテへの手紙 第一3・3)
どうやったら、どんな時でも満足することができるのでしょうか?
それは、神様が私たちを養っておられることを体験することです。
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
聖書(マタイの福音書6・31-33)
これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
満足する人は、捧げることができます。
②握らない
イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
聖書(マタイの福音書19・21-23)
青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
金持ちの青年が、イエス様に従います!律法は全部守っています!と意気揚々に言いましたが、彼がお金を人に与えることは他の何より難しかったようです。
彼は、結局、お金を手放せずに、イエス様から去って行きました。
「え?!イエス様よりお金取っちゃうの!?」となりますね。
でも、これって超難しいことだと思います。
この箇所こそ、有名ならくだが針の穴を通るというセリフです。
もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
聖書(マタイの福音書19・24)
「絶対無理」という誇張表現です。
皆さんは、イエス様から、このように言われたらどうしますか?
まあ、ここでイエス様は、「完全になりたいのなら、」と言ってこの青年を試されていたので、私たちも持ち物を売り払って貧しい人に捧げないといけないということではありません。
しかし、大切なのは、「イエス様が命じられたら」そのようにする覚悟を持ちたいということです。
イエス様は「神と富の両方に仕えることはできない」と言われました。
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
聖書(マタイの福音書6・24)
ここでの富はアラム語でマモンと言います。マモンとは実在した偶像のことです。
富はどん欲から生まれ、どん欲は私たちの生活の偶像になります。
お金を愛し、握り締めると、偶像礼拝という大きな罪になるということです。
お金を握らないことです。
言い換えるならば、「いつでも、お金を手放せる覚悟を持つ」ということです。
手放すにはお金を自分のものだと錯覚しないことが大切です。
だからこそ、献金が大切なのです。
心から捧げ、「これはあなたのものです。」という告白し捧げることは、私たちを守る行為にもなっているのです。
③高ぶらない
私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。
聖書(箴言30・9)
お金を稼いだり、所有するものが増えた時、高ぶる可能性はグッと高くなります。
そして、高ぶりは「施す」時にも生じるので注意が必要です。
施した自分に酔いしれることもそうですが、施したお金をその人がどのように使うのかを見てジャッジする場合もあるからです。
必要を感じていた教会員に匿名で献金をした時があります。自分としては結構、大きな額でした。神様に捧げるつもりで献金したので、捧げた後は気にしないつもりでした。
しかし、だいぶ時間が過ぎた後、捧げた人から、かなりきつい言葉で傷つけられたのです。
その時は、何度か「俺がどれだけあなたに献金したかわかってるか?」と言いたくなりました。
しなくて、本当によかったです!笑
意識して忘れたつもりでも、無意識では「こんなに捧げた!」と握っていた自分がいました。もともと私のものじゃないし、もう捧げたなら尚更私とは関係ないはずです。
次の箇所を見れば、見返りを求める捧げ物は、とても大きな罪だとも言えます。
しかし、ペテロは彼に言った。「おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。おまえが金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。
聖書(使徒の働き8・20)
私はすぐに、見返りを求めてしまう傾向があるので、注意しています。
何はともあれ、捧げることによって、自分の本性が明らかになるので、それは信仰の成長にも役に立ちます。
試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
聖書(ペテロの手紙 第一1・7)
まとめ
それでは、今日の話をまとめましょう。
なぜ、お金を神と人のために捧げるのか?
お金は、目的を間違えると誘惑になるから。
聖書(テモテへの手紙 第一6・9-10)
お金を神と人を愛するために用いないで、お金自体を愛すると誘惑と罠になります。
- 満足する
- 握らない
- 高ぶらない
次回は、「お金を神と人のために使う3つの方法」を聖書から説明します。
乞うご期待!