はじめに
成功とは何でしょうか?
あるいは、成功している人と言って思いつくイメージはどのようなものでしょうか?
一口に「成功」といっても、その定義は人によってさまざまです。
ある人にとっては家族との時間であったり、お金であったり、地位や名誉だったりと千差万別なものです。
しかし、たとえ、私たちが自分の追い求める成功を手に入れたとしても、その先に待っているものは何でしょうか?
また、もし、成功することが人生の目的だとしたら、望んだ成功を手に入れられなかった人の人生は、どう評価すれば良いでしょうか?
聖書を読んでいくならば、「成功は人生のゴールではない」ということがわかります。
今日の記事を読めば「聖書は成功について何と言っているか?」ということを聖書から知ることができます。
この記事は2020年に出版した「仕事と聖書」という本の内容が元になっています。
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「聖書は成功について何と言っているか?」
成功とは「神の計画を成し遂げるための手段」です。勘違いしたくないのは、聖書が、成功自体を否定しているわけではありません。
今日の箇所の主人公であるヨセフは、あらゆる点で成功したと聖書は言っています。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
聖書(創世記39・3)
成功でいうならば、ヨセフは歴史上、最も成功したうちの一人です。
このヨセフのストーリーから、成功は「神様の計画を成し遂げるための手段」であると言うことができます。
これは、「ヨセフが成功によって与えられたものを、どのように用いたのか?」を見ていくとわかります。
まず、ヨセフが成功によって何を与えられたかを見ていきましょう。
何を手に入れたのか?と言いません。
なぜなら、ヨセフを成功させたのは神様だからです。
ヨセフは、神として崇められていたファラオからこのように言われました。
ファラオはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。
聖書(創世記41・39-40)
おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」
41-44節に記された一連の場面は、エジプトの高官たちの就任式の様子です。
ファラオはさらにヨセフに言った。「さあ、私はおまえにエジプト全土を支配させよう。」
聖書(創世記41・41-44)
そこで、ファラオは自分の指輪を指から外してヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。
そして、自分の第二の車に彼を乗せた。人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうしてファラオは彼にエジプト全土を支配させた。
ファラオはヨセフに言った。「私はファラオだ。しかし、おまえの許しなくしては、エジプトの国中で、だれも何もすることができない。」
王が指輪を手からはずしてヨセフの手にはめることは、王の権威の委任を象徴しました。
亜麻布の衣服を着て、金の首飾りを首に掛けることは、夢の解き明かしに対する報いでした。
そして、ヨセフは「第二の車」を与えられました。「第二の車」とは、エジプトのNO.2が乗る車のことです。
直前まで監獄にいたヘブル人の青年が、エジプトの宰相となり、エジプトのすべての民が彼の命令に従うことになったのです。
エジプトの宰相になる前は、濡れ衣を着せられ、およそ13年間も囚人だったヨセフ。
囚人から天下のエジプトの宰相。ナンバー2。
これ以上の逆転人生、サクセスストーリーはないでしょう。
ヨセフが一夜にして手に入れたものは何でしょうか?
天下のエジプトでの権力、富、名声です。
ヨセフは、与えられた天下のエジプトでの権力、富、名声をどのように使ったのでしょうか?
ファラオから与えられた権力を駆使して、自己実現を果たそうとしたのでしょうか?
ファラオから与えられた富を散財して、もっと贅沢しようとしたのでしょうか?
ファラオから与えられた名声によって、自分の承認欲求を満たそうとしたのでしょうか?
ある人は、もっとお金を増やそうと力を入れたり、反対にお金を守ろうと保守的になったりします。
大豪邸を購入し、高級車を何台も所有し、別荘を買い、船を買い、派手に遊ぶ。
ある人は、自分の銅像を作ったりもします。
なぜ、そのようなことをするのでしょうか?
もちろん、ウォーレン・バフェットのように成功しても質素な生活を続ける成功者もいますし、何も質素に生活することが善であり、高級車を買うことが悪だと言っているわけではありません。
しかし、まるで成功がゴールかのように、「君たちも、成功したら、このような生活ができる。」と説く成功者は少なくないものです。
しかし、ヨセフはそのような成功者の夢のような生活を楽しむことはしませんでした。
彼にとっては、成功はゴールではなく、その先にある神の計画の成就を見ていたからです。
ヨセフが見ていた神の計画とは?
彼がした行動にヒントがあります。
エジプトの王ファラオに仕えるようになったとき、ヨセフは三十歳であった。ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った。
聖書(創世記41・46)
わずか30歳のヨセフは、「ヨセフはファラオのもとから出発して、エジプト全土を巡った。」のです。
彼はファラオの王宮にとどまって、夢のような生活を楽しむことはしませんでした。
むしろ、彼は意識的にファラオから去って、「エジプト全土を巡った」のです。
「エジプト全土を巡った」とはどういうことでしょうか?
それは、やがて来る7年間の大飢饉に備えて、今の7年間の大豊作の時に、できるだけ多くの作物を蓄えておくためにエジプト中を駆け巡って仕事をしたということです。
彼は、権力も、富も、名誉にも目をくれずに、いやむしろ、その権力と、富と、立場を最大限利用して、一生懸命働いたのです。
ヨセフは、成功がゴールではなく、これから来るききんに備えるために、今、自分が神様のためにできることを忠実にしたのです。
ヨセフは、どうやって、ききんがやって来るということを知っていたんですか?
しかも、7年後に7年間という具体的なことまで知っていたのでしょうか?
神様のみことばです。
ファラオの夢を通して、神様が明らかにされたご計画をそのまま信じたからです。
そして、このみことばに対するヨセフの忠実な働きは、のちに、家族の救い、神の契約の成就というもっと大きい神様のご計画のために用いられることになるのです。
つまり、ヨセフは、成功によって与えられた全てのものを「神様の計画を成し遂げるための手段」として使ったのです。
彼は、成功は自分によって手に入れたものではないことを知っていました。
勘違いしなかったのです。
私たちは成功を目指しているでしょうか?
成功を得るために一生懸命努力することは悪いことではありません。
むしろ、私は多くの若いクリスチャンがヨセフのように、日本の政治家や事業家として成功して欲しいと思っています。
なぜか?
成功によって与えられる影響力を神の国の拡大のため、神様のご計画が日本に成し遂げられていくために使って欲しいからです。
成功は「神様の計画を成し遂げるための手段」だからです。
苦難の中にいようが、成功の中にいようが、大切なのは神様との強い信頼関係の上で、「神様は私をどのように用いようとされているのか?」と神様の視点に自分を合わせていくことです。
私の人生は自分のものではない。神様が治めている人生だ。
私の持っているもの全てを捧げます。神様、私を用いてください!という信仰が生まれてくるのです。
まとめ
聖書は成功について何と言っているか?
成功とは「神の計画を成し遂げるための手段」です。
次回は、なぜ、成功を神の計画を成し遂げるために用いるのか?三つの理由を聖書から説明します。
乞うご期待!