労働と仕事の違い「なぜ、良いものである仕事が辛いのか?」

労働と仕事の違い
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はじめに

今日は、労働と仕事の違い「なぜ、良いものである仕事が辛いのか?」というテーマについてお話します。

皆さん仕事には良いイメージを持ってるでしょうか。

私は牧師になる前、銀行で3年間働いていました。

正直な話、私の仕事に対する経験からのイメージはきつい、辛いイメージや思い出がたくさんあります。

やりたくない事もやらないといけない。

そういう事もたくさんありました。

毎日泣きながら祈ったほど人間関係。
また仕事の内容ノルマがつらかったです。

就活の時に持っていった銀行員という、きらびやかなイメージは支店に配属されてすぐに消え去りました。

これから就職する人は、もちろん自分の理想通りの所に入ることもあるかもしれません。

でもどこかで理想とのギャップに気づく人がほとんどです。

なぜ仕事が辛くなるのか、きつくなるのか、ちゃんと聖書にはっきりと書いてあります。

この記事を読むと「なぜ、良いものである仕事が辛いのか?」の理由を聖書から知ることができます。

この記事は2020年に出版した「仕事と聖書」という本の内容が元になっています。もし、この本に少しでも興味のある人は、こちらからLINE友達か、メールマガジンの登録をしてください。

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「なぜ、良いものである仕事を辛いと感じるのか?」

 一言で言うならば、アダムが罪を犯したことによって私たちの仕事は苦痛を伴う労働に変わったからです。 

また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。

聖書(創世記 3章17節)

人とはアダムのことです。
彼は、妻エバにそそのかされて、神が禁じた善悪の知識の木から実を食べました。

これを人類の最初の罪、原罪といいます。

罪は、人類に悪い結果をもたらしました。

その一つが、実は、「働くことの苦痛」なのです。

「大地は、あなたのゆえにのろわれる。」とあります。

これは、アダムが罪を犯す前は、大地は呪われていなかったということです。

大地が呪われると、何が起こるかというと、今読んだ箇所にある通り、

「あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」のです。

ここで、神が人間に与えた尊い礼拝行為である「仕事」が、苦しい労働に変わったのです。

具体的には、18節。

大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。

聖書(創世記 3章18節)

農業をしていたアダムは、驚くのです。

「あれ、めっちゃ茨生えてる。雑草やばっ」

おそらく、呪われた大地は、栄養が不足して、もっとたくさん耕し、肥料をあげないと、良いものが収穫できなくなったことでしょう。

収穫物の栄養価も、美味しさも半減したはずです。

スーパーに行っても、美味しい果物と、あまり美味しくない果物ってありますよね。

結構、その違いが土の質だったりします。

1960年頃の野菜の栄養価と、2010年頃の栄養価を比べてみると、現在の野菜は昔の野菜に比べたらビタミンやミネラルなどの栄養価が半分くらいになってしまっているというデータもあります。

ある専門家は原因は地力低下にあるといいます。
つまり、土の質です。

ある牧師は働くことを「仕事」と「労働」という二つの日本語で説明されました。

仕事とは「事」に仕える。
つまり神さまの働き、神さまが委ねて下さった務めを果たしていくこと。

素晴らしい意味です
これは創世記の2章の罪を犯す前の仕事を表しています。

一方、労働というのは「労して働く」と漢字で書きます。
つまり創世記3章以降の罪によって歪められた仕事観を表す。
神への礼拝という本来の目的が欠如した時に私たちの仕事は労働に変わります。

続く、19節は、今の現代社会の虚しさを象徴するようです。

あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」

聖書(創世記 3章19節)

一生涯、働いて、土に変える。

2017の映画「ちょっと今から仕事やめてくる」での福士蒼汰(ふくしそうた)さんのセリフです。

「何のための人生なんや?」

まさに、その通り。

汗水流して働いて、死ぬ。

「何のための人生なのか?」

政治家の麻生太郎さんが、キリスト教諸国の仕事観は、創世記の3章の罪の呪いの結果としている、そもそもネガティブなものだとおっしゃっていました。
カトリック信者だという情報もあるので、見識があります。

でも、ここまで聞いてきて、「創世記の3章の罪の呪いの結果」という仕事観は、これは半分あってて、半分間違っていることわかりますよね?

正確には、仕事は、罪の結果ではありません。

本来は、神を礼拝する良いものです。
しかし、地が呪われた結果、苦痛を生じるものになったというわけです。

アダムが神の命令を守り罪を犯す前までは、仕事は非常に尊いもので、喜びと楽しみがそこにありました。

もちろん仕事をしていれば、疲れることもあったでしょう。

でもその疲れも非常に心地いい睡眠へと繋がるものでした。

でも今の皆さん仕事というのは、逆に疲れすぎて寝れなくなったり、人間関係のストレスやプレッシャーから、体は疲れてないけど、脳が疲れてるとか、自律神経がやられるとか、うつ病になるとか、そういう事があるわけです。

健全的な疲れではないという事です。

聖書は罪によって、地が呪われてしまったので、仕事自体も歪んでしまったと言っているんです。

だからこれから働く人、今働いている人はこのような言葉を聞くんです。

「仕事なんだから我慢しろ」
「みんなこれをやっているんだからしょうがないんだ」

もちろん成長のために苦しみや我慢も必要です。

しかし本来神さまが造られた仕事というのは、素晴らしいものだったという事を忘れないでください。

罪によって歪められた労働は、本来の形ではないという事を覚えましょう。

まとめ

それでは、今日の話をまとめましょう。

「なぜ、良いものである仕事を辛いと感じるのか?」一言で言うならば、アダムが罪を犯したことによって私たちの仕事は苦痛を伴う労働に変わったからです。

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次回は、「仕事をする上で重要な価値観」について聖書から説明します。
乞うご期待!

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この記事を書いた人

牧師。ライフコーチ。
1985年札幌で生まれる。小樽商科大学を卒業後、三菱UFJ信託銀行で3年間勤務。関西聖書学院(KBI)で1年間聖書を学ぶ。CCC(Campus Crusade for Christ)短期宣教を通じて出会った、当時CCC専任スタッフのク・ソンリムと2012年に結婚。2013年から3年間ソウル・オリュン教会日本語礼拝部伝道師として仕えつつ、トーチ・トリニティ神学大学院英語コース修士課程(Torch Trinity Graduate University/Master of Divinity)を修める。2016年から3年間、母教会札幌キリスト福音館で牧師として仕えた後、2019年より、札幌ガーデンチャーチを開拓。

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