会社のストレスの大きな原因が上司との関係であるのにも関わらず、私たちはリーダーシップの重要性を認めています。
良い上司やリーダーに励まされ、鍛えられると、一人では登れない山に到達できることだってあります。
聖書は、最高のリーダーであるキリストは私たちと同じ重荷を負ってくださると言っています。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
聖書(マタイ 11:29-30)
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
くびきとは、牛やろばなどの首に置かれる木製の2頭の家畜を1組にして、すきや車を引くようにしたものです。
一頭では負えない重荷でも、二頭なら負うことができるからです。
私たちの人生にも、様々な重荷があります。
仕事のプレッシャー、人間関係の軋轢、経済的な困難など。
しかし、ある日、とても負えない重荷が襲うこともあるのです。
私たちの親も、配偶者も、友達も理解してくれない、助けてくれない。
しかし、そんな時も、聖書は、神であるキリストは一緒に負ってくださると約束しています。
私たちは一人で負う必要はないのです。
神であられる方が人間と一緒に、くびきを負うとはあり得ないことです。
モーセの律法では、牛とろばを組にして耕してはならないとあります。(参照:申命記 22:10)
力の違う家畜が一緒にくびきを負うとどちらかに負荷がかかるからです。
キリストは、私たちの力に合わせて、私たちのペースに合わせて、負荷を負ってくださいます。
なぜか?
心が柔和でへりくだっているからです。
また、くびきは、束縛、服従、苦難、律法の制限を表す比喩として用いられます。 (参照:イザヤ9:4、申命記 28:48)
キリストは、私たちの罪の束縛をおって十字架で死なれました。
キリストとともに歩む人生は、たましいに安らぎを与えるのです。
今持っている重荷も、思い切って一緒に負ってくださるキリストに渡しましょう。
私たちは一人じゃないのです。